歴史と金物のまち。城下町「三木」の街道をゆく

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羽柴秀吉の三木城攻め、通称「三木の干殺し」で有名な兵庫県三木市。
信長に背いた時の城主、別所長治は秀吉の容赦ない兵糧攻めに屈し、1年10ヶ月にも及んだ籠城の末に兵士や領民の命と引き換えに一族での自刃を選び、ここに三木城は陥落した。

そんな三木城にやって来ると、「三木城跡は何処じゃ?」と問う羽柴秀吉に、「この看板の上で御座る!」とわざわざ敵に塩を送り付け余裕をかましまくる別所長治。

正直すぎぃ!
どんな設定やねん!!

兵糧攻め。空腹に悶え苦しませながら命を奪うなんてまるで悪魔の所行じゃないか。想像するだけでむごたらしい。
そんな歴史に残る惨劇の舞台となった三木城を、、しかとこの目で見届けてくれようじゃないか…!

勇み足で階段を駆け上がり、振り返ってみた。

やー。絶景だ(´∀`*)

おにぎりでも持ってきたらよかったw

440年前、秀吉によって陥落した三木城は、本丸周辺が「上の丸公園」として整備されていた。
長治公の辞世の碑もあるそうだが完全に見落とした。。

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街道をゆく

三木城はそこそこに、本題の町並み観察にくり出した。

三木市はかつて湯の山街道、東條道、あかし道、ひめぢ道が集まる交通の要衝だったところで、往時の面影をとどめる町並みが今も広範囲に渡って残っている。

湯の山街道を起点に、ぶらぶらと旧街道を歩いてみた。

三木城下から有馬まで通じ、秀吉が三木城を攻め落とした頃からその名が知られるようになったのが「湯の山街道」である。

有馬温泉とゆかりの深い秀吉は、戦で負傷したけが人や病人の兵卒に対し、有馬の湯を汲んできて療養させた言い伝えが残っている。
江戸時代には宿場町としての機能も持つようになり、参勤交代や西国からの湯治客の往来にも使われるようになったそうだ。

虫籠窓や格子、卯建などを設えた町家が点在する現在の湯の山街道。
有馬までは総延長約30kmだそうなので、6時間もあれば踏破できそうだ。日を改めていつか歩いてみようと思っている。

市が発行しているパンフレットでは途中「鍵型の辻」を通り恵比須駅あたりまで描かれているが、先が長いので大幅にはしょったw

明治22年創業、「葵鶴」の銘柄を醸す稲見酒造さん。
「志るしの杉玉」と称される杉玉は、あの奈良県の三輪神社(酒造りの神様)、三輪山の杉を使ってつくっているそうだ。

景気よくぶら下がってるがそう言えばこの日は2月だったのでちょうど新酒が出来た頃だったのだろう。

余談だが、三木市は日本一の酒米「山田錦」の一大産地でもある。

かつては湯の山街道沿いに造り酒屋がたくさんあったそうだが、今は稲見酒造さんだけ。
湯の山街道を歩く際はお土産に一本いかがだろう。

向かいに建つ町家も昔日の風情を今に伝えている。

その先には「芝町」と書かれた屋台蔵。
毎年10月の秋祭りで担がれる太鼓屋台が保管してあるそうだ。

県道を渡ると、「福の太」と言う銘柄を醸す福太醸造さん。
厨子二階、本瓦葺き、虫籠窓、荒壁に出格子スタイルのなんと元禄元年創業という超老舗。

杉玉吊り下がってるけど、なんか商売やめちゃったような雰囲気・・?

三木は江戸時代、美嚢川の舟運が盛んだった土地で、当時の高瀬舟の底板を利用した板塀が残っている。

東條道を少し上ったところに船着き場の跡もあるので興味ある方は行ってみてはいかがだろう。

湯の山街道と東條道が交わるあたり。

湯の山街道はこの町家の先で緩やかにカーブし、ナメラ商店街へとつながる。
結局どこまでが湯の山街道なのかよくわからなかった。(商店街は含まない?)

続いてひめぢ道を歩いてみよう。

(2ページ目へ続く)

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