歴史と金物のまち。城下町「三木」の街道をゆく

兵庫県
この記事は約3分で読めます。

ひめぢ道を10分ほど歩くと「下町の鍵型の辻」、いわゆる枡形が現れる。

二度目の直角に道標が立っており、少々判読しづらいがこう書かれている。

右:ほっけ
左:ひめじ

 

「ほっけ」と言うのは居酒屋の定番メニュー、開いて焼くとめちゃうまいあのホッケである・・わけがない。

先日記事を書いた加西市にある『法華山一乗寺』のことである。

ただ、その先には美嚢川が流れる。

方角的には合ってるので、昔はここに橋が架かっていたか渡し船があったのではないかと思う。
川を渡り北へ向かうと加東や加西方面へと向かう。

 

地図上、ひめぢ道は完歩したので最後にあかし道のほうへ行ってみる。

途中、100年以上もの間住民の社交場として親しまれてきたという「中町・丸一の洗濯場」があった。
1km先の山から湧き出る地下水なのだそうだ。

スポンサーリンク

あかし道

最後にあかし道付近へ。

少し逸れたところに、明治から大正にかけて郡会議員や三木町長などを歴任し、政治家・実業家として活躍した小河秀太郎の別荘『旧小河家住宅(別邸)』がひっそりと立っている。

16時までなので見学できず。

ちなみにここも登録有形文化財。
この界隈だけでいくつあるんだ・・多すぎw

むむっ?

あかし道沿いに気になる看板を見つけた。
料理旅館「文一」・・だと?

市のHPで紹介されていたので一部を引用させていただく。

建設年代は、旅亭文市楼旧館が大正13年(1924)に建設され、その後、昭和前期に増築されている。旅亭文市楼新館は、昭和前期に建設された。

特徴としては、旧三木城下の町人地にあり、旧館の大広間は書院風の格調高い造りとなっている。旧館背面に接続する新館は、各客間に数寄屋好みの意匠を凝らしている。戦前の地方都市の営みの一端を物語る伝統木造の料理旅館である。

ちなみにここも登録有形文化財で、現役の旅館なのよね。(一度宿泊を検討した経験アリ)

 

あかし道の東側につくられた、本街道の混雑を避けるためにつくられたいわゆる裏道が「交わし道」。
かつては鍛冶屋職が軒を並べていたそうだ。

旧小河家住宅もこの交わし道沿いにある。

交わし道から一本入った路地に割烹店のような趣きの料理屋があった。
普通なら素通りしてるような建物だけど、ふと玄関まわりに目をやると・・

|д゚)アッ

「料理屋」の鑑札発見!!

この日見つけたのはこのひとつだけだけど、三木にはないと思ってたから満足。
よし、そろそろずらかりますか!

そうそう、あかし道とひめぢ道の間の通りにも古そうな旅館が一軒あって、一見して現役なのかわからなかった。

どなたか情報お持ちでしたら教えてほしいです。
現役だったら泊まりに行くかもしれないので。

長くなりましたが・・三木編はこれにておしまい。

[訪問日:2020年2月10日]


コメント

  1. maru より:

    コロナが収束しないと街歩きも厳しいですな。

タイトルとURLをコピーしました