戦後、いや厳密に言えば終戦前なので戦中に誕生したとも言える鳩の街は、新興の赤線としてかなり繁盛した。
その痕跡を少しく辿ってみたいと思う。
すごい速さで発展した鳩の街
商店街からおもむろに路地を折れると、待ってましたとばかりに遺構が現れる。
鳩の街は玉の井のように広くない。狭いエリアにピーク時で108軒という数の娼家がひしめいていたが、対して玉の井が120軒とそこまで変わらないので、いかに密集していたかがうかがい知れる。
よくよく見たら玄関の右側に顔見世用のような小窓がある。
事務所に転用された元カフェー建築。
戦後に誕生した鳩の街は、当然のことながら妓楼のような遺構はない。すべてカフェー建築である。
開業時はたった5軒でスタートした鳩の街であるが、なんせその後の成長曲線が半端ない。
既に終戦直前の7月には40軒70人、そして3年後の昭和23年には96軒238人と倍増どころの騒ぎではない。
そして昭和26年には108軒238人となり、軒数のピークを迎える。人数だけはその後も増え、売防法施行前の昭和30年にピークの329人を数えた。凄まじいのし上がりっぷりである。
ちなみに軒数が頭打ちになったのは物理的に建てる場所がなかったからであろうと推察できる。
鳩の街は、RAAの指定地にもなり、米兵も出入りしていたが翌年の廃止とともに出入り禁止となった。
このときの「OFF LIMITS」の文字が壁に残る、全国的に見ても非常に貴重な建物が近年まであったのだが、残念なことに2013年10月に解体されてしまっている。
太い円柱を持った独特の建物。清々しいほどのコンクリート打ちっぱなしからは無骨さがひしと伝わってくる。
一見してよく残っているなぁと思いたいところではあるのだが、先ほどのオフリミッツな建物を筆頭に、先輩諸氏のブログ等を眺めるとやはりかなりの遺構が近年消失しているようでなんともやるせない気持ちになる(´・ω・`)
歩いてみてなんとなく感じたのは、玉の井の移転組が始めた言わば兄弟のようなシマだからであろうが、建物の感じがよく似ているということ。
というわけで、もう少し付近を歩いてみたい。
(3ページ目へ続く)
コメント