門司港レトロな休日(前編)

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福岡県は北九州市、門司区に門司港レトロなる観光名所があることは、何もレトロ好きに限らずともよく知られていることである。

門司港は、明治22年に貿易港として開港。おもに石炭などを扱う国の特別輸出港として発展。この石炭とは、言わずもがな筑豊の炭鉱から採掘された石炭である。
それ故、門司港地区には明治・大正期の建造物が今なお数多く残っている。
それらの物件を整備し、観光地として再生したのが平成7年のことである。

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JR門司港駅。ネオ・ルネッサンス調の木造建築で、駅舎としては初めて国の重要文化財に指定。門司港レトロを代表する建築物である。

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駅の中もすごい。重厚すぎる待合所。ものものしさがハンパない。

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切符売場。旧字体なのも驚きだが、右から左へ読むのが渋すぎる。

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巌流島

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さて。門司港から船で10分の場所に決闘の地として有名なあの島がある。大河ドラマにもなった・・と言えばピンと来るのではないだろうか。

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武蔵と小次郎が剣を交えた巌流島。実の名を船島という。せっかくなので上陸してきた。

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武蔵と小次郎の決闘には不明な点が多く、決闘の動機、当時の二人の年齢、小次郎が決闘によって死んだのかも定かではない。

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巌流島から関門海峡を望む。ちなみに「巌流」とは、小次郎が自らの剣を「巌流」と名乗ったのがその由来。

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一触即発な二人。この像の前では、みんな同じポーズで写真撮影(笑)
生死を賭けた決闘をくりひろげた二人は、よもや数百年後に自分らがこうしてネタにされるとはみじんも思わなかったであろう。

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小次郎はん。
今まさに、秘剣燕返しがくり出されようかというそのとき。
どうでもいいが、燕返しというとどうしても下世話なほうを連想してしまう自分は間違いなく脳内が腐っていると思う。

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そして宮本はん。
木刀で小次郎を殺してしまうとか戦闘力高すぎ。ロロノア・ゾロもびっくりである。

巌流島は小さな島(一周1.6km)で、見るものもあまりないので散策はすぐ終わってしまう。
これでも、決闘当時からしたら3~6倍の大きさになっているとか。
そして、現在は無人島だがかつては住人がいたこともあったという。そんな巌流島。
下関、門司を訪れた際には是非とも足を運んでみては。

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