メインストリート以外もぶらぶらと歩いてみた。
大峯山寺の護持院のひとつである龍泉寺。
護持院とは、文字通り護持するお寺のことで5つの寺院が年毎に交替で務めるそうだ。
境内には大峰講に関係する石碑がいたるところにあり、改めてここが山岳信仰の聖地であることを思い知らされる。
龍泉寺前の通りはそのまんま「寺前通り」。
メインストリートと寺前通りの間には川が流れていて、赤い橋が何本か架かっている。
実に風流である。
温泉街の入口には提灯を設えたゲート。その横の旅館がすげぇΣ(゚Д゚)
次ここ泊まりたい(´∇`)
引き続き寺前通りを西へ。
こっちはほとんどが民家で、旅館は点々として数軒しかない。
そのうちのひとつがこちらの「一丸旅館」さん。
ちょっと先にも。「尾乃屋旅館」さん。
その先に、モノレールでアクセスする面白い鍾乳洞があったけど何となく食指が動かなかったので行かなかった。
陀羅尼助
さて、それでは陀羅尼助の話をしよう。
「だらにすけ」という不思議な響きをしたコイツの正体は、黄檗という植物を主成分にした胃腸薬。
今から約1,300年前、修験道の開祖と言われる役の行者が開発(当時は「開発」なんて大仰なものではないだろうが)したと言われている。
大峰山で生まれ、それから1,300年も続く超ロングセラー商品なのである。
洞川温泉にはこの陀羅尼助を製造販売する業者がいくつかある。
初期の頃は板状だったそうだが、今は丸いつぶつぶのような形状をした「陀羅尼助丸」が主流となっている。
筆者は特に胃腸が弱い体質でもないので持って帰ることはなかったが、お腹を冷やしたり変なものを食べたときにすぐに結果が出る(≒トイレとお友達になる)人はお買い求めてみてはいかがだろう。
洞川には遊郭があった
思い出してほしい。
山上ヶ岳は女人禁制だった。と言うか、今も、である。
そして、修験の山である。
そこには必然的に精進落としの遊所が必要だった。
そう。洞川にはかつて遊郭があったのである。
この事実を掘り下げる気まんまんで来たのであるが、図書館(図書室)を兼ねた公民館に行ってみたらなんと閉館。。
いきなり出鼻をくじかれた格好になったので、かくなる上はと旅館のご主人に訊いてみた。
幸運にもご主人は洞川出身の方。しかも世間的には初老と呼ばれるぐらいの年代で、昔この地にあった遊郭のことをご存知だった。
そして、教えてもらった場所に行ってみるとこの建物があった。
閉まってはいたが、最近飲食店にリノベーションされたように見えるこの古民家。
これが遊郭の遺構なのだそうが、全然そんな風には見えない。。
しかし、橋の上から裏側を見てみると何とも艶っぽい丸窓があるじゃないですか。
それどころか、(これは他の筋から聞いた話だが)寺前通りは戦後の一時期特飲街(特殊飲食店街)として機能していたんだとか。
いやはやビックリである。
筆者はてっきりこの元旅館っぽい建物が遺構だと思ったのだが・・
旅館のご主人がきっぱりと否定してくれました(笑)
ちなみにこの建物は観光案内所のそばにある。
洞川温泉、いかがだっただろうか。
風情が素晴らしいことは言うまでもないが、修験宿という特殊な生い立ちを持つ洞川は歴史的にも面白い場所である。
是非一度、泊まりで訪れてみてほしいと思う。
なお、参考までに夜はこんな感じになる。
八経ヶ岳に登った
と言っても時系列的には洞川温泉に泊まりに行くひと月ほど前の話になるが、一般的に大峰山と解釈されている「八経ヶ岳」に登ってきた。
このときは大峰山の歴史や修験道のことは聞きかじった程度にしか知らなかった(ずいぶん前に「百名山」は読んだが内容などとうに忘れている)ので、この日歩いた登山道が昔は女人禁制だったなんてことももちろん知らなかった。
山頂には、無事に登頂した修験者が納めたのであろう木札が丁寧に積み重ねられていた。
やはり大峰山は修験の山なのだ。
いつか、洞川温泉を基地に山上ヶ岳にも登ってみようとの思いが、この記事を書いていたらふつふつと湧き上がってきた。
白装束、持ってないけど。
[訪問日:2020年9月26日]
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