キングオブ下町とも言える京成立石の赤線跡をぶらぶら歩いてきたが、ここにはもうひとつ大きな見所がある。それはまた後ほど。
こちらも赤線時代の建物。
謎にドアが3つあるが、これは米兵の人種差別が酷く、黒人と白人が同じドアなのは困ると言われたからこうなったそうである。
路地が狭すぎて全景を捉えきれないw
もしドアがひとつだったら、遺構であることに気がつかなかったかもしれない。それぐらい普通の家に見える。
独特な意匠の居酒屋。
二階がいかにも建て増ししましたって感じでちょっとずれてるんですがw
呑んべ横丁
さて、立石が「呑兵衛の聖地」と呼ばれる所以が他ならぬこの呑んべ横丁である。
踏切を渡ってすぐ右へ折れたあたり、特飲街とは駅前の道を挟んで反対側に位置する。
ゲートをくぐり内部へ分け入ると、あたかもそこだけ無彩色の世界が広がるかのような、くたびれた路地裏風景が広がっていてディープインパクトを受ける。
まるで映画のセットか最近流行りの昭和レトロテーマパークか何かと見紛うほどの完成度。しかし、作り物でもなんでもないすべてまぎれもない本物なのだ。
昭和29年(1954年)に誕生した、「立石デパート」なる商店街が前身だと言うからもう60年も経っていることになる。
当時は普通の商店や飲食店が軒を連ねる商店街だったそうであるが、日中でも日が差さない陰鬱な雰囲気も手伝ってか、いつしか一見は近寄りがたい一種異様な空気がほとばしる『聖域』のような飲み屋横丁と化してしまったようだ。
そしてここにも、「赤線跡を歩く」に載っている写真と変わりない風景がまだ残っていた。
ドアにハート。そしてこの猥雑な雰囲気。
近くに赤線もあるし、「青線だったのでは?」と疑念を抱きたくもなるが、先述したとおり元々は普通の商店街だったので決して青線ではなかったというのが答えになろう。
外は素晴らしいほどの晴天なのに、見事なまでに呑んべ横丁の内部だけ日陰になってるというw
それにしてもここまで強烈に戦後臭をとどめる飲み屋横丁は、今じゃもうかなり貴重な存在になっているんじゃないかと思う。
はじめ立石に住みたいと思ったのも、この呑んべ横丁の存在を知ったからというのが理由のひとつだったりするわけで。
ただ、さすがに一人で入る勇気はあいにく筆者は持ち合わせていない。ここに住んだとしてもちょっとハードルが高い。
実は立石には駅前の再開発計画があるそうで、呑んべ横丁は駅前広場になってしまうとのことである。
と結構前から言われているものの、仲見世商店街にしろここにしろまだ残っているので行政側と住民側でこう着状態が続いているのだろうか。
古い町並みを愛でる立場からすれば残ってほしい景観である。
だが、同時にこの手の場所は大規模災害発生時の危険区域でもある。
非常にムズカシイ問題だと思う。
いつかは消えてなくなる町並みだとしても。
一日でも長く、しぶとく生き抜いてくれることを願ってやまない。
昭和の意地を、平成の世を生きる人々に見せ続けてほしい。
※2024年2月現在、呑んべ横丁は現存せず一帯は再開発工事が始まっています
[訪問日:2014年8月11日]
〒124-0012 東京都葛飾区立石7丁目1 呑んべ横丁
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