大阪と奈良の県境、金剛山地の山麓に位置する奈良県御所市。
奈良盆地の南端、平野部と山間部の境界にあたるため江戸時代から交通の要衝として栄えてきた歴史のあるまちである。
新地商店街を抜けた先を曲がると、いかにも昔商家やってました的な重厚な町家がいきなりお目見えする。
ここから先が御所の真髄、『御所まち』である。
御所まち
高札場…だと…?
実はこれは、かつて同地にあった高札場を平成20年に復元したものである。
その場所を、少し引いた状態で眺めてみる。鉤型をしているようだ。
これもまた中世の名残であり、当時は3ヶ所あったのが今でも残っているのはここだけとなっている。
このあたりは江戸初期に成立した陣屋町が基になっており、この枡形と碁盤の目状の町並みが当時の様子を今に伝えている。
御所駅から700mほど東へ行くと葛城川が流れている。
川を挟んで西側は「西御所」、東側は「東御所」と呼ばれるが両者は少々性格が異なっている。
今歩いている西御所は商家が軒を連ねた商家町。対して東御所のほうは円照寺という寺院を中心に発展した寺内町である。
前回の記事で御所は“環濠集落”だったと紹介したが、環濠で囲まれたり枡形があったり、こんなスーパーディフェンシブ集落が形成されたのは寺内町に端を発しているからであろう。
※寺内町のディフェンス論については富田林で少し触れた
で、「御所まち」と言うのは東御所と西御所を合わせたエリア全体のことを指す。
少し歩けばすぐにおわかりいただけると思うが、推定江戸~明治頃と思われる重厚な町家がそこら中に立っていて度肝を抜かれてしまった。
重伝建はおろか、県指定の歴史風致地区みたいな肩書きすらなさそうなのにそれらに匹敵するぐらいのハイレベルな町並みが広がっている。
すごいぞ、御所まち。
しかし本当にすごいのは伝統的建造物の多さなんかではない。
東御所も西御所も、リアルに江戸時代の地図がそのまま使えるレベルで町割りが当時のままなのである。
これが御所まち最大の強みであり、満を持して“古地図の町並みが今も残る・・・”がキャッチコピーに選ばれた真相である。
そんな無条件でひれ伏したくなるような御所まちをぶらぶら歩いていると、奇妙なタンクが見えてきた。
んん?なんだあれ?
そこには1719年創業の造り酒屋「油長酒造」さんの建物があった。
なるほど。酒の貯蔵タンクか。
と、この瞬間この日のみやげが決まった(笑)
大きな下屋が特徴的な町家。
あまり見ないタイプだ。
碁盤の目であることがよくわかるようなキレイな直線。
なお、あみだくじよろしくすべての路地をきっちり歩きたい性分なので筆者は碁盤の目の町並みはあまり好きではない。
なぜって?疲れるからに決まってるでしょw
それにしても古い町家の多いこと。
構造的な連続性には乏しいけど、ほとんどが古い建物なので見ごたえには事欠かない。
元祖セコム、忍び返しを装備した町家。
とは言えさ、盗人の気持ちになって考えてみようよ。これ、冷静に行動すれば割と簡単にかわせそうな気がするのは気のせい…?
あ、よく見たら手前にも釘が飛び出てるわw
これ結構難易度高いかも…。
そんな感じで色々 妄想 想像をめぐらせながら歩くのが楽しいのよ。これがまち歩きの醍醐味。
油長酒造さんの裏側。
さりげなくうだつが上がってる町家もあったり。
実にバリエーションが豊か。
このあたりで白状すると、実はこの日御所に来た目的は新地商店街のほうで、御所まちのほうは完全にノーマークだったわけで…。
しかも、まち歩きマップを手に入れたのが歩き終わってからというひどい有様で、そのおかげで歩いたのは西御所の一部だけ、東御所については家帰ってからその存在を知ったというね。。
まぁ、それでもこれだけの建物が出てきたってことはいかに古い町家の数が多いか。
それだけは伝えることができたんじゃないかな、っと。
とにかく、御所にはもう一度行かねば…とこの日以来ずっと思っている。
帰りに買った油長酒造さんの「風の森」が期待値を大幅に裏切って美味かったので、これを買いに行きたいという理由もあり。
酒屋はもちろん、居酒屋でもほとんど置いてないのよね。一度だけ神戸の飲み屋で見かけたぐらい。
そんな不完全燃焼極まりない、御所まちの紹介でした。
[訪問日:2020年9月27日]
コメント
高札場、、、
千葉の田舎に住んでいるけど
近くに2か所存在していますな、、、
今度撮影してきます。
ブログ拝見しました!
思ったよりちゃんとした高札場でビックリしました笑