魅惑の木造三階建て!創業120年、北木島の老舗旅館「天野屋旅館」に泊まってきた

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泊りがけの島旅では、「どこに宿を取るか」というのが比較的大きなテーマとなる。
島によっては宿がなかったりすることもあるし、小さな民宿では通年営業してなかったりなんてこともある。

その点、このときの旅は悩む必要がなく楽だった。
というか、そこに泊まりたいがゆえに北木島に渡ったと言っても過言ではなかったからだ。

それが大浦海岸の目の前で堂々たる存在感を放つ木造3階建ての天野屋旅館である。

天野屋旅館遠景

この日の北木島は、私が『路地裏の師』と仰ぐ、四国在住のまち歩きの大先輩と共に巡った。
日帰りだった師とは大浦港で別れ、筆者はそのまま天野屋さんにお世話になるという流れになった。

なお、豊浦で途方に暮れていた我々を救ってくれたのが他ならぬ旅館のご主人である。(フェリーの時間があったため、ダメ元で電話してみたらなんと送迎のお願いを快諾していただいた)

その節は本当にありがとうございましたm(__)m

旅館の目の前はちょっとした入り江のようになっており、漁船が停泊していた。
入り江をぶった切るように後年建設された県道(新道)が通り、その向こうに大浦海岸が続いている。

昔は旅館のすぐ目の前までが海だったとご主人に教えてもらった。

県道に面した建物はご家族が使用されているところで、そこを通り抜けると裏道がもう一本。
客室のある建物はこの裏道に面している。

木造3階建ての威圧感になすすべもなく圧倒されるのが、ここに立った瞬間である。

料理店の鑑札が二枚…(擦り切れてるのを入れれば三枚)
これがホントの二枚鑑札w

※「二枚鑑札」とは、花街や遊郭などの色街で、芸妓が娼妓も兼ねることを言う

岡山はこの緑と黒を今でも両方見かけるけど、たぶん発行された年代が違うとかなんだろうね。

天野屋旅館は、旅館としては120年ぐらい続いていると伺った。
明治時代なのは確かなようだが、正確にはよくわからないとのこと。

商工会とかの文献では明治40年が最古だそうで、そこから計算しても115年。実際はもう少し経っていると思われる。
今のご主人の曾祖母、いわゆるひいおばあさんが開業したのだそうだ。

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それではお邪魔します

玄関

一度荷物を置かせて頂いてから大浦の集落を散策し、再び宿に戻ってきたのは16時頃だった。
前夜は道の駅で車中泊、この日は朝から北木島を散々歩いてさすがにちょっと疲れた。

夕食までは部屋でのんびりすることにしよう。

左側にロビーがある。

そして正面が二階への階段。赤い絨毯がいかにも昭和って感じで心地よい。

二階のロビー。ここを囲むように部屋が配置されている。

壁には蛭子能収さんのサインが掛かっていた。2015年8月に天野屋さんを訪れたようだ。

階段を上がったところ。

ロビーにある洗面台。
洗面台はもうひとつあるが、泊まった部屋の目の前だったので筆者はここを使った。

昔あったなぁ。こういうの。
懐かしすぎる。

それではお待ちかね。
こちらが筆者が泊まった部屋。

位置的には、階段上がって左手奥の部屋。
左手手前には二間続きがあって、ここはファミリーのお客さんが泊まっているようだった。

夕食は、これでもかと言うほど海の幸オンパレード。
しかも嬉しいことに部屋出しだった。

味覚の変化なのか、いつからかビールより日本酒のほうを好むようになってしまったので旅先では地酒ばかり呑んでいる。
岡山と言えばあの辺だろうなぁと思って頼んだ酒が広島の三原だったことがこの日一番印象に残っている(笑)
そりゃそうか。笠岡ってもうほぼ広島だもんな。

ご馳走に舌鼓を打ち、幸福感を感じながら深い眠りに落ちていった。

長い一日がようやく終わろうとしていた。

(2ページ目へ続く)

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