岡山の倉敷と香川の坂出をつなぐ全長約13kmの瀬戸大橋。
と言っても一本の長い橋ではなく、連なった10の橋の総称である。途中、塩飽諸島の5つの島を通過するが、ほぼ中間に位置する「与島」はその中でも最もよく知られた島だろうと思う。
なぜならそこにPA(パーキングエリア)があるから。
どれ、ちょっと瀬戸内海の絶景でも眺めながら休憩するか・・
これまで、一体どれほどのドライバーがここからの景色で長旅の疲れをリフレッシュしてきただろうか。
展望台からは、雄大な瀬戸大橋と瀬戸内海、遠く坂出のコンビナートが眼前に広がる。
トイレに行き、好きな飲み物で喉を潤しながらこの絶景を目に焼き付ける。
十二分に英気を養ったところで、よし、そろそろ出発するか・・
となるところだが、ちょっと待ってほしい。
実は、駐車場のすぐそばに島内へアクセスできる遊歩道が整備されているのである。
つまり、与島はパーキングエリアに来たついでに島を観光できるのだ。
これはあまり知られていない事実だと思われる。
与島の集落へ
展望台の南側に行ってみると、案内板もない、知る人ぞ知る隠しダンジョンの入口のような場所を見つけることができる。
ここを左に行くと島内へ下りることができる。
瀬戸大橋が通過する島では、櫃石島(ひついしじま)、岩黒島(いわくろじま)、そしてこの与島と3つの島に下りることができる。
その中で、唯一自家用車でアクセスできるのがパーキングエリアのあるこの与島というわけだ。
パーキングエリアから5分とかからないぐらいの手軽さで人家のあるエリアにたどり着く。
与島には「穴部」「浦城」「塩浜」と3つの集落があるが、最も近いここは穴部地区。
わざわざ説明するまでもなく一目瞭然だが、与島散策最大の特徴はどこを切り取ってもだいたい瀬戸大橋の橋脚が構図に収まる点である。
瀬戸大橋そのものも1988(昭和63)年開通なので実はもう30年以上経っているが、ここまで強烈に新旧のコントラストを感じることができる場所は他には下津井ぐらいではなかろうか。
こんな絶景が毎日見れるのは羨ましい。
たぶん美人と同じで3日も経てば何も感じなくなるんだろうけど…。
散策していると、石垣の上に立っている家屋が多いことに気がつく。
これは、そもそもが傾斜のある土地に集落があることに他ならないが、もうひとつ理由がある。
与島はかつて“採石の島”だったのである。
古くは漁業と採石場で栄えた島で、今も島の北部には採石場の跡が残っている。
瀬戸大橋を建設する際に多くの業者が廃業を余儀なくされたそうで、工事関係者でいっとき増えた人口も橋の開通とともに減少が始まり、最盛期で約500人、現在は150人ぐらいのようだ。
島の北部には瀬戸大橋の開通に合わせて「フィッシャーマンズ・ワーフ」なる商業施設がオープンし、いきなり800万人近い人を集めるなど、島は観光客で大いに賑わったそうだ。
アクアラインの海ほたるPAと同じような感じだろう。最初は物珍しさで人が来るのは世の常である。
ちなみにフィッシャーマンズ・ワーフは2011年に閉鎖し、2013年に解体されている。
今は観光客さえほとんど来ない静かな島である。
ここに来る前にいた真鍋島ほどではないが、与島も斜面を利用したさほど広くない土地に集落が形成されているので、細い路地と木造家屋、時折海を眺めながらの路地歩きができる。
家々はそれほど密集してはいないが、陸路でアクセスできる与島は気軽に漁村集落の雰囲気を味わえるという点では屈指の島だと思う。
穴部集落から海に向かって歩いていくといつの間にか浦城集落に入っていた。
小さな漁港に出た。
海は凪いでいた。人の姿も見えない。
遠く、こんもりした山が見える。頂上にあるのは1872(明治5)年に完成した鍋島灯台である。
バスの待合所が最高にクール。
香川の坂出駅と岡山の児島駅をつなぐ琴参バス瀬戸大橋線(路線バスと高速バスのハイブリッドのような運行形態)のバス停で、実は与島はバスで来ることもできる。
もうひとつの塩浜集落は島の北寄りにあるが、時間の都合で割愛した。
塩浜はその名のごとく江戸時代に塩田ができたところで、昭和40年代と比較的近年まであったようだ。
ただ、北部はフィッシャーマンズ・ワーフなき今は特に見どころはないので時間がなければ行かなくてもよいと思う。
採石と漁業で成り立っていた小さな島が、瀬戸大橋建設という国家的一大プロジェクトで生じた時代のうねりに飲み込まれ、ジェットコースターのような速さで繁栄と衰退を経験することになった。
風景を楽しむ以上に色々と考えさせられた与島散策だった。
[訪問日:2020年11月1日]
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