土浦から常磐線に揺られること1時間。やってきたのは県庁所在地の水戸市。
水戸と言えば、納豆と黄門様、そして日本三名園のひとつ、偕楽園が有名である。
その偕楽園には2005年の暮に来たことがあるのだが、当時は観梅の名所であることなどつゆ知らず、寒空の下見所に欠ける庭園を歩きまわったしょっぱい思い出しか残ってない。
あれから約9年。今度は偕楽園のそばにあったという快楽園、もとい、色街を訪ねにやって来た。
水戸には遊郭が置かれなかったが、大工町、竹隈町というところに花街があり、さらに練兵隊が置かれた市内西方にも谷中という花街が誕生したとある。
と、これは戦前の話で、戦後は駅のすぐそばに赤線ができたそうでおなじみ『よるの女性街・全国案内版』には以下の記述がある。
赤線は群馬県と同じくよく寝るので「駱駝屋」と呼ばれる私娼が奈良屋町一帯に40軒、酌婦も136名。
奈良屋町
その奈良屋町は、現在の東照宮の裏手にあたる。
この水戸東照宮、祀られているのは無論家康公。また、創建した徳川頼房(家康の子)も後に合祀されている。
それでは旧奈良屋町の散策へと洒落こみましょうか。因みに現在の地名は「宮町二丁目」となる。
歩き出すとこんな建物が残っていた。「水戸飲食店組合員」の鑑札があったので元飲食店のようだが、青線的な店だったのかどうかは不明。
おもむろに路地を折れ前進すると、左手にはいかにも昭和30年代の居酒屋のなれの果てみたいな「まりも」さん。
既に植物の侵食がかなり進行している。このままほっといたらホントに「まりも」になってしまいそうだ。
「駱駝屋」がどんな店だったのかよくわからないが、いかにも当時から残ってそうな年季の入った飲食店もちらほら。
それにしてもよく寝るからラクダとは酷いもんだ。朝の見送りなんかもしてくれなかったんですかね。
東照宮の北側の路地。古い飲み屋が軒を連ねる風景は「いかにも赤線がありました」的な風情を醸し出している。
ぽつんと取り残されたように一軒だけひっそりと建っていた大衆クラブ「キャンパスワン」。
商いをやめてしまった元商店。
一階の窓がなかなか秀逸で味がある。
なんとなくカフェーのなれの果てのような気がするんだけど違うかな。
少なくともただの民家だったとは思えない趣き。
そんな中、間違いなくカフェーの遺構だったと断定できそうな物件が一軒だけ残っていた。
右側の屋根にはラーメンどんぶりみたいな不思議な幾何学模様。
屋号のようなものも残っていた。
読めねぇ・・。
そのすぐそばには、しもた屋となった元転業旅館。現役時代は「だいはつ」という名だったようであるが、車はスズキなんですねw
玄関まわりの艶っぽさは健在。
やめてしまったのはもったいないですね。県庁所在地の駅近でしかも民宿っぽい宿。需要はありそうな気がするんだけどな。
色街につきものの質屋。の跡。
売防法の施行でその命運が尽きたのだと容易に察せられる。
旧奈良屋町の散策はこんなものにして、その足でかつて花街があった旧大工町へ向かった。
大工町のほうは、色街の系譜が現在に受け継がれている。そして、その道のマニアには聖地とも言える非常に有名な建物が残されているのだ。
旧奈良屋町の場所↓
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コメント
おもしろい
> そのすぐそばには、しもた屋となった元転業旅館。現役自体時代は「だいはつ」という名だったようで
> あるが、車はスズキなんですねw
草
この物件すでにとりこわれてしまってますね…
「読めねぇ」と書かれていた店舗は「富久富」ですね、これで「ふくとみ」と読んで。昭和末はまだ営業していました。
なるほど・・「富久富」でしたか。ありがとうございます。