なまはげ伝説のルーツ、男鹿半島でブルース感漂う温泉街を歩く

秋田県
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前回の金ケ崎の話で秋田編も無事完結、、のはずだったが、肝心なことを忘れていたのを思い出した。
初日の五城目編でさらっと『男鹿』に行ったことに触れたが、さらっと流すような内容ではなかったのだ。

そんなわけで、今日は男鹿の話をしたい。
これが本当の完結編である。

秋田の北部、日本海にボコッと突き出た男鹿半島。
その名前は知らなくとも、なまはげなら誰もが知るところであろう。

 

悪い子はいねぇが~~

泣く子はいねぇが~

 

と叫びながら、鬼の形相をした化け物が出刃包丁をぶんぶん振り回しながら迫ってくるバイオレンスすぎる伝統行事である。

200年以上の歴史を有し、ユネスコの無形文化遺産にも選ばれているこのなまはげの風習が残るのが男鹿半島だ。

なまはげ館

なまはげについて学びたければ、まずは「なまはげ館」に足を運ぼう。
概要や歴史を知ることができるはずだ。

(・・訳も分からずこんなんが家に押し入ってきたら大人でもトラウマになりかねないだろ)

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男鹿温泉郷へ・・

この半島には、俗に「男鹿温泉郷」と呼ばれる有名な温泉地がある。
満を持して立ち寄り湯目的で寄ったら、コロナ禍のせいで日帰り営業はまさかの一斉休業中。

Shit!!

思わず英語で悔しさを表現してみたものの、映画みたいなうまい話があるわけもなく。
時間余っちゃったし、とりあえず温泉街の散策でもするか…。

そんなこんなで歩いてきた温泉街が、絶妙に寂れていて文字通り昭和のまま時が止まったブルース指数高めな街並みだった。
これならブログで書けるんじゃね?

記事化決定の瞬間である。

あまり説明は要らないだろう。
百聞は一見。とにかく見ればわかる。

この温泉郷が発展したのは昭和30年代頃だそうだ。
ここで目にしたのは、そう聞けばすべてが腑に落ちるような風景の連続だった。

男鹿温泉郷は“郷”と言うだけあり、県道を挟んで北側の「石山温泉」と南側の「湯本温泉」に分かれている。
メインとなるのは石山温泉のほうで、ここは明治~大正にかけて鉱山だったところで、石灰岩の採掘が盛んだったそうだ。

その頃から温泉はあったものの、温泉街として本格的に整備されたのは鉱山が閉鎖されてからのこと。
一方、湯本温泉のほうが歴史が長く、江戸時代にはすでにその名が知られていたと言う。

なお、旅先での諦めの悪さには定評のある筆者は、ワンチャン日帰り入浴できないだろうかと湯本温泉にも行ってみた。(←結果、ダメでしたw)

これはもうコロナとか関係なくそれ以前からだろう、、曜日とか時間とかの問題ではなさそうなレベルでつぶれた飲食店のなんと多かったことか。

とにかく温泉街全体が寂れまくっており活気の「か」の字すら感じられなかった。
盛者必衰とはかくのごときな有様だった。

思えば、秋田県とは人口減少率の全国トップに君臨する県である。
県全体の人口が千葉市の人口より少ないとSNSでネタにされるほどの課題最先端地域なのだ。

 

そういう先入観もあったので、いつもなら嬉々として歩くこういう場所もなんだか複雑な気分だった。

秋田特有の木製鑑札

まぁ、秋田が少し突出してるだけで地方が厳しい現実はどこでもそう大差はないだろう。
旅行することで少しでも経済に貢献できるなら、自分としては喜んであちこち行くつもりである。

この「東大門」なるスナック街にも、人で溢れていた時代があったのだろう。
果たして、廃墟となってゴミが打ち捨てられたこんな未来が予想できただろうか。

日本は未曾有の少子高齢化社会に突入している。経済も社会も、そしてまちさえもダウンサイジングを図らなければ持続不可能に陥ることは火を見るより明らかであろう。

50年後や100年後に、この温泉街はどうなっているのだろうか。
そんなことを考えながら、なまはげのふるさとを後にした。

秋田編、完結。

[訪問日:2020年11月16日]


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