戦国時代の自治都市やで。大阪の環濠集落「平野郷」を歩く

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大阪市の最も南東に位置する平野区の中心部は大正時代まで「平野郷」と呼ばれていた歴史のあるまちで、今でも古い町家がそこかしこに残っている。

今日はこの平野を歩いてみたい。

そんなわけでやって来ました平野駅。
天王寺からJR大和路線で2駅。5分というロケーションである。

ものすごくタイムリーなネタを投下すると、数日前、右端に見えてる時計台が経年劣化で突然倒れてぶっ壊れるという仰天の事案が発生した駅である。

このまちのポテンシャルを示唆するかのように、駅前に豪商の屋敷然とした町家がでーんと建つ光景。
これは、、心してかからなければ。

今一度気を引き締めた。

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平野は環濠集落だった

地名の由来をたどれば平安時代に行き着くほど歴史のある平野。
戦国時代には環濠でぐるりと囲んだ自治都市が形成され、1925(大正14)年に大阪市に編入されるまで、その名のごとく「平野郷」という環濠集落であり続けた。

環濠集落と言えば奈良の御所などもそうである。

古地図で大丈夫。江戸時代からほとんど変わってない「御所まち」の町並みがすごい
大阪と奈良の県境、金剛山地の山麓に位置する奈良県御所市。奈良盆地の南端、平野部と山間部の境界にあたるため江戸時代から交通の要衝として栄えてきた歴史のあるまちである。新地商店街を抜けた先を曲がると...

昭和に入ってから環濠もほとんどが埋められてしまい、平野駅東側にある杭全神社(くまたじんじゃ)付近にわずかに残るのみとなっている。

で、これがその僅かに残る貴重な環濠跡。

杭全神社の創建はなんと平安時代の862年。
かの征夷大将軍「坂上田村麻呂」の孫が創建した由緒ある神社である。

境内には、国内で唯一残る連歌所があるそうな。
「連歌」とは、複数人が交互に和歌の上の句と下の句を詠んでひとつの歌にしていく詩歌の一ジャンル。

現代の「いつどこでだれがなにをしたゲーム」と同じような感じだろう。
知らんけど。

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濠の中を彷徨う

平野は大坂夏の陣で一度壊滅し、現在の町割りは1616(元和2)年に再構築されたものである。
環濠はなくなれど、400年前から残る町割りに歴史を感じながら歩いてみよう。

平野郷は交通の要衝でもあったようで、古い道標がいくつか残っていた。

右 大坂
當社 熊野権現 祇園宮

確かに、目を引くような古い町家が点在している。

この路地の風情よ…。

目を引くどころか目をみはるこちらの建物は150年以上前に建てられた元呉服店。
数年前までは「平野映像資料館」という博物館として使われていた。

江戸時代創業の亀乃饅頭(福本商店)。
建物自体も幕末頃だそうで。

江戸時代の地割を残す場所は総じて道幅が狭い。
軽ならなんとか離合できそうだが、運転もかなり神経をすり減らしそうだ。

屋根 on the 屋根。
はて。これは、、大和棟か?大阪でも見られるの?

サッシになってるけど昔は虫籠窓だったんだろうなぁ。

唐突に現れるこのアーケードは『平野本町西商店街』。
もうやってなさそうだけど…。

その先には「サンアレイ」と書かれた現役アーケード。
こちらは『平野本町通商店街』という名であるようだ。

お母さんに手を引かれて商店街でお買い物。
ほっこりするなぁ。

店構えは総じて古いけど、サンアレイのほうはそこそこ賑わっていた。
ここらで一旦区切ります。

(2ページ目へ続く)

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