閑谷学校資料館は、1905(明治38)年に学房跡地に建設された私立閑谷中学校本館の建物である。
明治末期の学校建築としてはかなり貴重なもので、2001年には登録有形文化財にも登録されている。
私立の中学校としてスタートするも、1921(大正10)年には県立となり、さらに1948(昭和23)年には県立閑谷高校となる。
1964(昭和39)年に閉鎖されたあと、翌年から「岡山県青少年教育センター閑谷学校」として利用される。
1991年に同校が移転し、1995年に「閑谷学校資料館」が開館。
という、目まぐるしい変遷をたどってきた建物だったりする。
時代時代で用途は変われど、建物は明治時代から変わらず約120年の歴史を紡いでいる。
早速中へ入ってみよう。
元教室だった各部屋が資料室となっているが、展示資料は著作権の関係で撮影禁止。
あとは現地でご覧ください。
建物はコの字型になっていて、東西に階段が設置されている。
東側の階段を上ったところ。
この位置から見るとコの字型であることがよくわかる。
天井が高く、窓が大きい。採光のためだろう。
教室が南側、廊下が北側にあるのも同じ理屈だろうと思う。
余談だが、黒板は基本的に西向きになるのをご存知だろうか。(確かここもそうだった)
そうすると、教壇に向かって左から陽が差し込むことになる。これが逆だと、右利きの子は机の上が影になってしまうのだ。
再び1階に降りてきたこちらの部屋は旧閑谷中学校の校長室。
資料館はここまで。
聖廟と閑谷神社
講堂の前はだたっ広い広場になっている。
その一段高い場所に何かある。
西側にあるのが聖廟。
儒学の祖、孔子を祀っており孔子廟とも呼ばれる。
この大成殿(本殿)は1684年の完成で、閑谷学校で最も古い建物。
続いて東側は閑谷神社。
孔子を祀る・・と来たらお次はそう、生みの親である池田光政を祀る神社がここ。
創建は1686年で、「東御堂」または「芳烈祠」と呼ばれる。
中に光政の像が安置されている。
350年の歴史を持つ、世界最古の庶民学校「旧閑谷学校」。
平成27年には日本遺産の「近世日本の教育遺産群 ー学ぶ心・礼節の本源ー」に認定され、より注目を浴びるようになった。
備前の奥地、閑かな山あいに佇む儒学の殿堂。
儒教による仁政を目指した岡山藩主池田光政の崇高な精神は、今もその地で脈々と息づいている。
[訪問日:2020年12月12日]
コメント
岡山県といえば、倉敷市、横溝正史、津山市(八つ墓村の影響)、岩井志摩子(笑)なんですが・・・。先日、BSNHKで「よみがえる新日本紀行 昭和49年放送)」を見たら、この学校を紹介していました。今でも、地元の高校生に当時の授業を施しているそうですね。それより、私が印象に残ったのが「花むしろ」です。子供の頃、畳の上に必ず花むしろを敷いていました。い草の匂いと織物のような綺麗な柄が懐かしいです。欲しくなって探していますが、今売ってるところないんですよね。自営業の雑貨屋もなくなって来たから。ニ○リとか、ケ○カヤで売ってるようなラグなんかより、花むしろですよね?
傍からすればいい話ですが、ここで論語とか聞かされる高校生はたまったもんじゃないでしょうね(笑)
花むしろって、洋室に敷くものかと思ってましたが畳の上なんですか?うちは夏になればリビングに敷いていたような気がします。
岡山は倉敷が産地だそうですね。これはもう現地に行って買うしかないと思いますよ。