ゑびすや荒木旅館さんはとにかく奥行きが長い。
そして、敷地内にはいくつか小さな中庭がある。
純和風の老舗旅館って、やっぱりこの中庭の存在が醍醐味のひとつだと思うんですよね。
で、建物の裏側にもうひとつ入口がある。
実は、昔は旅館のすぐ裏手までが海だったそうで。
船で来る客はこっちが表玄関で、当時はそれぞれの入口に門番が立っていたんだとか。
大広間「松」
続いて女将さんに案内していただいたのが大広間「松」。
ここがまたすごい。
な、な、なんと!昭和の歌姫、美空ひばりが昭和40年代にこの大広間でディナーショーを催したと。
さらに!
島倉千代子も同じ頃にディナーショーを。
いやぁ、驚きのエピソードでした。
ホント、人生いろいろですな。
大広間の窓からは中庭を見下ろせるつくりになっている。
高そうな屏風。
欄間の彫刻は日本一の木彫りのまち、井波の職人さん作。
ゆかりの人物の話はまだあって、与謝野鉄幹・晶子夫妻。
先代の女将と親交があって、小豆島に一緒に旅行に行ったりしたのだそう。
そして真打ち登場。あの北大路魯山人のエピソードも。
魯山人と言えば真っ先に「美食家」が思い浮かびそうなもんだけど、実はこの人他にも「料理家」「陶芸家」「書道家」「画家」「漆芸家」などどんだけ多彩なん!っていう肩書きの持ち主。
荒木旅館では、あのイサム・ノグチらと来訪し、大広間で備前焼作家に江戸前寿司を振る舞ったそうな。
岡山と言えばばら寿司の文化なので、握り寿司は珍しくてみんな喜んだんだとか。
当たり前だけど、館内を歩くとあちこちで備前焼を目にする。
確か、これのどっちかが古備前で鎌倉時代だと言うお話だった。
大広間の前には、大正時代から使われている電話室。
女将「備前と伊部に電話がひかれたのが1920年で、今年でちょうど100年なんですよ」
「へ~」
一時期はどこかに仕舞っていたそうで、出てきたときは新聞に載ったそうだ。
女将「昔は1階にあったそうなんですけど、進駐軍が取りに来るだのなんだの言うときに、上に上げたと聞いてます」
伊部もそうだけど、このあたりは戦災に遭ってないのでこういう古い建物が残っているのだと教えてくれた。
しかしまぁ、よくぞ残っていたよな…と言いたくなるぐらい素晴らしい。
出発時間が近づいてきたので、最後に一階へ。
ショーケースの中には人間国宝金重陶陽氏の作品。
この方が備前では初代の人間国宝で、以降、計5名の作品がすべて展示されていた。
今までは仕舞っていたのだけれど、コロナ禍で出すようにしたとのこと。
やはり備前焼目当てで来られるお客さんが多いので非常に勉強になるのだそうだ。
こういった品々が普通に集まってくるところがこの旅館のすごさなんだろうな、と感心せずにはいられなかった。
おわりに
一人書き忘れてたけど、時の内閣総理大臣、犬養毅も岡山出身の縁で何度か来館していて大広間に書が残っていた。
建物もさることながら、ゆかりのある人物の豪華さでは過去に泊まった旅館の中では間違いなくNo.1だったと思う。
加えて、とにかく女将さんが気さくな方で、旅館のことを各種エピソードを織り交ぜ懇切丁寧に教えて頂いて本当に感謝しかなかった。
他のお客さんがいたりで見ることのできなかった部屋もいくつかあるので、岡山方面に行ったときは是非またお世話になろうと考えている。
[2020年12月宿泊]
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