新浜田市場の次に向かったこの日3ヶ所目の市場は『難波市場』。
「なんば」と読みそうだけど正解は「なにわ」。
しかし、大阪ならまだしもなぜに尼で「なにわ」なんだろう。。
住所で言うと西難波町1丁目あたり。
最寄り駅はJRの立花駅で、徒歩10分強と言ったところだろうか。
それよりも市役所に近い。歩いても3~4分ぐらいで行けそうな距離にある。
NANIWAと書かれたアーケードが東西に伸びている。
いや、アーケードと言うより真ん中に空間を設けた、完全に密閉された長屋のような構造をしている。
ところどころ、年季の入った蛍光灯が頼りなく床面を照らしている。
歩く分には支障はなさそうだが、お世辞にも雰囲気が良いとは言えない。
この市場の出自は昭和30~40年代の範囲には収まるだろうか。
直感ほどアテにならないものはないが、そこまで現実との乖離はなさそうな気もする。
営業しているようだがそれを感じさせない空気を纏った商店。
それは米屋のようだった。
隣には花屋。
結論から言うと営業していたのはこの二軒だけだった。
平日であればどうだったろうか。
そんな想像は野暮でしかないことを確認し、すぐさま打ち消した。
色も感情も失くし、自我さえも忘れた商店の屍が累々と連なっていた。
通常とは違う時間の流れを感じながら、市場を通り抜けた。
反対側へと抜けるも、およそ市場とは程遠い外観の何物かがそこにはあった。
だが驚くことなかれ、今立っているこの場所にはかつて別のアーケードがあったのである。
西ナニワ商店街
難波市場と直交するように、かつて「西ナニワ商店街」と言う商店街があった。
2015年7月のストリートビューではアーケードを確認できる。
だが、次の2017年4月になると影も形もなくなっている。
2016年前後まで現存していたのだろう。
そんな、元西ナニワ商店街を挟んで難波市場は東西2つに分かれていたようだ。
市場の真ん中に別の市場があった、と言ったほうが正しいのかもしれないが。
難波市場(西側)は、もうとうの昔に市場でなくなっていたことだけは確かだと言えそうな空気が流れていた。
奥に行けば行くほど光が届かなくなり、最後はストロボを焚かなければ写真に撮すのも不可能なほど真っ暗だった。
建て替えや解体が進まないのは、やはり権利関係が複雑だからなのだろうか。
人で溢れていた時代。
まだこの市場が活き活きと輝いていた時代を思い浮かべながら、次なる場所へと向かった。
[訪問日:2021年1月23日]
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