ねね兄の陣屋町。足守町並み保存地区が素晴らしすぎて泣いた

岡山県
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暫くの間、微妙にずれていた季節感が漸く追いついてきた。
今日から昨年GWの話をつらつらと綴っていこうと思う。

昨年の連休は、5泊5日の行程で岡山方面を巡った。
ここ近年仕事の都合やら何やらで、GWにこれだけの長さで旅に出たのは実に4年ぶりだった。

前日のうちに目的地の近くまで移動しておき、朝早くから行動するスタイルもすっかり板についた感がある。

筆者は朝起きてすぐにきびきびと行動するのが苦手なタイプなので、最近はもっぱら夜移動が多い。
連休初日などは高速は朝から混むし、ETCの深夜割の恩恵も受けられるのでどう考えてもメリットのほうが大きいと思っている。

そんなわけで、岡山市北部の足守(あしもり)に到着したのは午前8時。
観光客の姿はおろか、観光案内所の類すら開いていなかった。

うーん。ちょっと早すぎたか・・

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足守について

旧足守町役場の門柱

1971(昭和46)年まで存在した足守町の中心部にあたる足守の町並みは、豊臣秀吉の正室ねねの兄にあたる木下家定が1601年、姫路城から移封され同地を治めることになったのがその始まりである。

以後2万5000石の足守藩として、明治維新まで12代に渡って木下家の統治が続くこととなった。

足守川

木下家定は足守に陣屋を構えた。
※陣屋とは小藩の領主が城の代わりに築く居所(藩庁)で、実質的には城と大差はない

ゆえに、足守は城下町ではなく陣屋町となる。

陣屋跡と侍屋敷が一軒残っているが、武家町としての名残はあまりない。
メインは真っ直ぐ伸びる目抜き通り沿いに残る町家群で、いわゆる町人地にあたるエリア。

そこへ行く前に、足守川を渡ってちょっと足を伸ばしてみることをオススメしたい。

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緒方洪庵誕生の地

大阪の船場に適塾を開いたことでよく知られる蘭学者の緒方洪庵は、実はここ足守藩の生まれ。

町並みからほど近いところに生家の跡地があり、石碑と像が建立されている。

そういや適塾って行ったことないなぁ。

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町並み保存地区

それでは町人地のほうを見て行こう。
通りはほぼ南北に走っている。北側の入口からスタート。

おそらく旧街道の類なのであろう。
500mほどの通りに沿って町並みが続いている。

この、ちんたら歩けば10分近くはかかる距離に、江戸期に建てられたであろう伝統的スタイルの町家が驚くほど多く残っているのである。

お茶処「ねね」

こちらは甘味処に改装されているが、ご覧のような本瓦葺の平入り厨子二階、虫籠窓となまこ壁を装備した漆喰塗籠のものが割合としては多い。

さらに、足守の特徴のひとつに“格子”が挙げられる。
かなり良好に残っている。歩く際には是非意識していただければと思う。

一応、郊外と言ってもここは県庁所在地の岡山市。
岡山市内にこんなすごい町並みが残ってるのも驚きだし、今なお高密度で町家が現存するのも驚きである。

それもそのはずで、ここ足守は県の町並み保存地区に指定されているのだと言う。
至極納得。

で、こちらが足守藩の侍屋敷。
なになに・・開館は9時半とな?

ほら・・やっぱり早すぎたじゃないかw

仕方ない。。外から眺めるだけにとどめておこう。
茅葺屋根をチラ見。まぁ、そんな人生も悪くないよな。

(2ページ目へ続く)

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