荒波に想いを馳せて。北前船の船主集落「東岩瀬」の町並みが素晴らしかった

富山県
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富山市北部、神通川の河口に北前船の交易で栄えた「東岩瀬」という港町がある。
単に岩瀬と呼ばれることもあるが、北陸三日目はこの岩瀬からスタート。

料亭「松月」

岩瀬カナル会館にクルマを停め、岩瀬運河を渡って東岩瀬へ。
ベンガラ調の老舗料亭「松月」の優美な姿を横目にとぼとぼと歩く。

雨はまったくやむことなく、まるで旅人をあざ笑うかのようにこの日も朝から降り続いていた。

岩瀬へは、富山駅からライトレールの富山港線に乗って「東岩瀬」で下車するのが最も近い。
ちょっと洒落たことをしたい方は、かつて一世を風靡した『世界一美しいスタバ』のある富岩運河環水公園から富岩水上ラインに乗り、1時間のクルーズでも岩瀬まで行くことができる。

時間のある方には是非とも後者を推したい。

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そして「大町通り」へ

10分ほど歩くと、突如道幅の広い瀟洒な通りが姿を見せた。
ここが東岩瀬の町並みの中心部、「大町通り」である。

実はこの通りは旧北国街道。岩瀬は街道の宿場としての顔もあったが、今に残る町並みは廻船問屋の建物を中心とした港町としての名残となっている。

約500m続く通り沿いに伝統的建造物が立ち並び、風情ある景観を紡ぎ出している。

桝田酒造店

岩瀬地区は吉久同様、加賀藩の御蔵が置かれ江戸期以降米の積出港として発展した。
ところが、廻船業の全盛期だった明治6年に大火があり、約1000戸のうち650戸が焼失。

しかし、そこは財力のある廻船問屋である。
金に物を言わせ、「東岩瀬廻船問屋型」と呼ばれる独自の様式によって再建を果たす。

よって、現在岩瀬に残るのは大火後に建てられた明治の町並みということになる。

なお、東岩瀬型というのは概ねこのような形式だと思っていただければよいと思う。

一階に出格子、二階は平格子。
ややむくりを帯びた庇に漆喰の外壁と袖壁。

ざっとこんな特徴を備えている。

廻船問屋の多くは通りを表構えとし、裏側は河岸となっていた。
船から直接荷揚げができるようになっていたのだろう。

現在は埋め立てられ、もう一本県道が通りそこには「富山港展望台」がそびえ立っている。

通りの入口で見た案内板によれば、廻船問屋の建物は12棟残っているようだ。
ご覧のように、ほとんどが今でも住宅として使われている。

突然の洋風建築の不意打ちにたじろいでしまったが、これ実はお寺だというからビックリする。
「願了寺」というそうだ。

続いては「酒商 田尻本店」。
造り酒屋ではないけど、日本酒からワインから焼酎まですごい在庫で、温度管理された冷蔵エリアに自由に入れてどれでも選び放題。

もちろんここで地酒を一本お買い上げ。

こちらは一般公開されている「旧馬場家住宅」。
ここは中に入ったので後ほど紹介します。

斜向かいに建つギャラリー(陶芸工房)。
現存する12棟のうち、唯一川と反対の東側に面した廻船問屋。

そしてもうひとつの公開廻船問屋の「森家」。
ここも中に入ったので後ほど。

どんどん行きましょう。
北陸銀行岩瀬支店。

重厚感あふれる蔵を持つ元廻船問屋。

大町通りは正確には「大町新川町通り」といい、その実「大町」と「新川町」に分かれている。
どのあたりが境目なのか判然としなかったが、前者は北前船の大問屋、後者はそれ以外となっていたそうだ。

食堂天保さん。昭和29年創業。
てっきり字面的に天保年間創業かと・・w

巨大な杉玉が、己のアイデンティティが何たるかを旅人に教えていた。
富山を代表する銘酒「満寿泉」を醸す桝田酒造店である。

酒蔵群は一本東側の路地に面して立ち並んでいた。

そこから大町通りを振り返ったところ。
ここが東岩瀬で最もフォトジェニックだった。

さて、それじゃ廻船問屋の中を見に行きましょうか。

(2ページ目へ続く)

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