まさに“令和の奇跡”。圧倒的アウェー感で存在感を放つ「吉久」の町並みがすごい

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日本一のイケメン大仏のホームタウン、富山県の高岡市に久しぶりに足を運んだ。
目的は他でもない。2020年12月に晴れて重伝建の仲間入りを果たした「吉久(よしひさ)」の町並みを見るためである。

前回、市街地の「山町筋」と「金屋町」を歩いたのは2017年。
早いものであれから4年近くもの歳月が流れていた。

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町並みの入口

吉久は日本海に注ぐ小矢部川と庄川に挟まれた中州(半島)のような場所にある。
高岡駅から路面電車(LRT)の万葉線に乗って30分という距離感である。

クルマの場合は駐車場がないので、筆者はだたっ広いパチ屋の駐車場に停めさせてもらった。
そこから歩いても5分ぐらいで町並みの入口に到着する。

まず、一体何が“令和の奇跡”なのだというところから説明しておこう。

高岡市は北陸でも有数の工業都市であり、吉久がある、この日本海に突き出た半島は紛れもない臨海工業地帯なのだ。
そんなところに、周囲から完全に浮いた四面楚歌な状態で江戸時代からの町並みが残っている。

これを奇跡と呼ばずして、一体何を奇跡と言うのか。
まずこの前提をしっかりと頭に叩き込んでおいて頂きたい。

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町並みを見る

そんな吉久のまちはいかなる歴史のもとに成立したのか。

江戸時代、ここからほど近い伏木が北前船の寄港地になったことで小矢部川や庄川の舟運によって一旦陸揚げされた米が吉久に集められ、伏木から大坂や京都に運ばれていった。
吉久には加賀藩によって米蔵(御蔵)が設置され、米奉行も置かれるなど文字通り米の一大集散地として栄えたのである。

また、高岡城下と放生津(新湊市)とを結ぶ「放生津往来」の宿場町としても整備され、人や物資が集まる在郷町として発展して行くことに。

明治時代に入ると、廃藩置県や租税制度の改変、舟運の衰退と相次ぐ変化によって役割を失い、衰退を余儀なくされることに。

しかしながら、市街地から遠かったことが奏功したのか近代化の波に洗われることなく古い町並みが現代まで残ったというわけだ。

町並みの特徴としては、江戸末期~昭和初期の町家建築が軒を連ねており、厨子二階、切妻造、平入、桟瓦葺き、格子、袖壁あたりが基本スペックとなる。

重伝建選定間もないこともあり、修景もほとんど行われていない“すっぴんの街並み”を見ることができた。

建物自体はどこでも見られるオーソドックスな様式をしているが、ふたつほど特筆すべき特徴がある。

まず、吉久では千本格子のことを「さまのこ」と呼ぶそうだ。
漢字で書くと「狭間子」。

由来は不明だが、何となく“格子感”の感じられる字面をしている。

吉久神明社。地区の鎮守社であろう。

なんと、銅板建築まで見られるとは。

能松家住宅(明治末期)

もうひとつの特徴は二階部分。

そう、よく見ると窓がない。
これは「アマ」と呼ばれる収納空間として利用されていたもので、稲わらなどを保管するための空間だそうだ。
屋根の出桁を梁で支え、それが格子模様を創り出しているのも特徴である。

これを見れば、住民の保存に対する熱意も拝察できよう。

高岡市にはすでに2つの重伝建があるので、市民も行政も蓄積された知見やノウハウを有している。
これが3ヶ所目の選定へとつながったのは想像に難くないだろう。

このあたりで急に雨脚が強くなってきた。
この日は「城端」→「井波」→「福光」→「吉久」と巡ったが、結局朝から晩までずっと雨だった。
つまり前日の昼からずっとである。

ホントいい加減にしてほしい。。

この町家は一階に袖壁チックな壁がついていて印象的だった。
屋根部分の彫刻も良き。

大正時代以降は二階も居住空間として使うようになったそうで、窓がついているのはすなわちその頃以降に建てられたものと推測される。

古い町並みもこれまで色々見てきたけど、“窓がないことが特徴です”なんて場所はただのひとつもなかったんじゃないかなぁ…

そういう意味では吉久はかなり独特だったんだな、と改めて思う。

とはいえ、天気が最悪でロクな写真が撮れなかったので、またいつか晴れの日を狙って再訪したいと思っている。
冬でもいいかな。雪化粧はさぞキレイそうだ。

保存地区は直線で500mしかない。
重伝建の中でもかなり狭い部類に入るだろう。

あっという間に歩ききってしまった。

米商人で賑わった遠い昔も今は昔。

時代に取り残された“奇跡の町並み”は、これからも未来へと奇跡を繋いでいくことであろう。

[訪問日:2021年8月13日]


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