敦賀から国道161号線をひた走ると越境して滋賀県に入り、やがて琵琶湖へと至る。
「海津」と言う地区だ。
ココには、古くから琵琶湖の港として、また旧街道(北国街道)の宿場町としても栄えた繁栄の歴史がある。
今日はこの海津をぷらぷら歩いてみようと思う。
今津、塩津とともに『湖北三港』と称された海津。(ここに「大浦」を加えて四港とする説もあるようだ)
港町としては平安時代からと、その歴史は折り紙付き。
かつて、北陸の産物を京へ運ぶとなったら、まず敦賀で陸揚げされ、お次は陸路で琵琶湖の湖北エリアへ。そこから琵琶湖を船で大津へと運ばれ、最後に陸路というルートをとるのが一般的だった。
地図を見ると一目瞭然だが、現在、今津は国道303号線、塩津は8号線、そして海津は161号線で北陸と結ばれている。
湖北三港は、このような歴史的背景のもと湖上交通の要衝として繁栄を見たのである。
このうち、西近江路(北国街道)の宿場町としての顔も持っていたことで三港で最も栄えたのが海津。今、海津を歩くと風や波から家を守るために江戸時代に築かれた、ここの代名詞とも言える石垣を見ることができる。
そんなわけで、旧街道を歩いてみることにしよう。
なお、現在はメタセコイア並木で有名な高島市の一部となっているが、もともとは「マキノ町海津」という世にも珍しいカタカナ地名の町だった。
※現在、純粋なカタカナ名の市町村は北海道のニセコ町のみ
江戸前期に河村瑞賢によって西廻り航路が開拓されると、日本海から下関を経て直接大坂へと行けるようになったことで琵琶湖の水運に頼る必然性がなくなり、海津はみるみる衰退していったそうだ。(敦賀も同じ理由で衰退)
その為、廻船問屋や豪商の屋敷などは皆無で、石垣以外に味わえるのは港町からのモデルチェンジを果たした宿場としての名残、ただただそれだけである。
思えば、琵琶湖と言うのはすごい湖だと思う。
日本最大の湖で近畿の水がめ、固有種を含む希少な生態系が保たれており、鮒ずしをはじめとした独自の食文化を育んできた。
湖上スポーツや“ビワイチ”などアクティビティも盛んで、人の暮らしにこれ以上寄り添う湖も他にないだろうと思う。
さすがはマザーレイクの異名を持つだけあると、琵琶湖にまつわる記事を書いている今、改めてしみじみと感じ入っている次第である。
ちなみに筆者は釣りもヨットもサイクリングもしないので、琵琶湖との関わりしろは割と薄いほうだと思う(笑)
明治10年創業、琵琶湖に一番近い酒蔵を標榜する吉田酒造。
離島の港町ですと言われても1ミリも疑う余地のないほど海にしか見えない。。
鮒ずし屋さんを発見。
そういや鮒ずしって食べたことない気がするなぁ…?
あまり美味しそうなイメージが持てないんだけど実際のところどうなんだろうか。
土蔵をリノベした「蔵カフェ」。
何でしょうこの金ぴかの門は!?
申し訳ないけど周囲の景観と絶望的にマッチしていない。。w
軽く調べてみると「海津迎賓館」なる建物まではわかったけど、限りなくヴェールに包まれた実態はほとんど謎のまま。
福善寺。
斜向いに金色の奴がいるせいか、普通のお寺が妙にしょぼく見える(笑)
海に降りられるところがあったので行ってみた。
石垣は総延長1.2km。まだまだ余裕で続いていた。
海津の建物はほぼすべてが平入りだった。
結構歩いたことだしそろそろいいかな。
この漁協のあたりで引き返すことにした。
帰りは一本北側の路地を伝うように戻った。
共同井戸として使われている湧水。
この道もなかなか風情があってよかった。
朝から寄り道し過ぎたせいで、海津散策を終えた時点で16時半。
もう1ヶ所行きたいところがあったが・・果たして間に合うだろうか。
[訪問日:2021年8月15日]
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