尼のレトロ市場探訪記Ⅷ『食満センター』

兵庫県
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昨年、未訪問だった尼崎のレトロ市場を短期集中的に回ったときの話をつらつら綴ってきたこのシリーズも、今回を持ってようやく最終回。

最後は、阪急園田駅の近くにある「食満センター」。

まぁ…たぶん誰一人読めないと思うけど、読み方はけまセンター

まず外観から行きましょう。
ここ、以前たまたま前を通ったときに「何コレ?なんか市場の跡っぽいぞ」ってなって、調べてもまったく情報が出てこなかった。

で、尼崎の図書館で昔の住宅地図を眺めてようやく名前が判明したという次第。

なお、ご覧の通り現在の地図を見ても元市場と気づくのはちょっと難しいかもしれない。

食満センター遠景

尼宝市場編でも触れた『尼崎市の小売市場における空き店舗問題』という論文に食満センターのことが書いてあった。

設立は1965(昭和40)年。市内では比較的新しい市場と言える。
1988年の時点で30店舗だが、2016年にはすでに廃業している。

分かったことはここまでである。

そう言えば図書館に行ったときにいくつか住宅地図を複写してたっけな、と資料を漁ってみると、

昭和41年、昭和49年、昭和57年の3枚を発掘。

なんでこうもうちょっと最近のを取って来なかったんだろうか。。

その中で最も最近の昭和57年では31軒の商店が確認できた。
その6年後が30軒だから大体合ってそうな気はするな。

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いざ、食満センター跡地へ!

そんなこんなで中へ入ってみると、すごくキレイなことにまず驚いた。
設立が遅かったというのはあるにせよ、正直「何で全店廃業しちゃったんだろう」って全力でツッコみたくなるほどアーケードの状態が良好。

次に驚いたのが、元商店の多くが現在は住宅になっていること。
それも、今風のものがほとんど。

この年代の市場って、躯体が残っていたとしてもサビサビのシャッター街になってたり一部が崩落して滅びかかってたりするのが常なわけで、これほど見事に住居に転用されているのは一体どういう理屈なんだろうかと。

これは正直なところちょっと感動すら覚えた。
こうしてアーケードが当時の姿で維持されているのを見るのは素直に嬉しい。

店主の高齢化なんかで一軒、また一軒と減っていっても普通は最後まで粘る人がいるもんだし。
それは生活のためと言うよりは、お客さんへの責任だったり単純に意地だったり色々理由がありそうだけど、そういうのが一切ないというのがなんか不思議で。

一斉廃業に全員が首を縦に振らざるを得ないような、何かドラスティックな出来事があったんだろうか。

何てことを考えながら歩いた食満センター跡地。
外はザーザーと冷たい雨が降り続いていた。

設立の翌年、昭和41年の住宅地図で店名を眺めてみると、入って右側の列は菓子屋、パン屋、魚屋、青果、漬物、荒物、果物、文具、はきもの等々。
左側のほうは時計屋、果物、毛糸、花屋、乾物、豆腐、製麺、肉屋、クリーニング等々。

ここに来ればほぼほぼ全部揃う強力ラインナップ。

昔の市場って大体どこもこんな感じだったんだろうね。

市場は途中で左に折れ曲がる形でL字型をしている。

曲がった先は天井の採光がなく、かなり薄暗かった。
この通りもやはり住宅になっている。

ここが西側の入口。
食満センターは、南から入り、左に曲がって西へ抜ける構造をしていた。

通りに面したところはデイサービスになっているようだった。

この建物に初めて気がついてからはや数年。
ようやく記事化できてほっとしたと言うか。

最後が一番ニーズのなさそうな内容になってしまったけど、これにて尼崎の市場シリーズは完結です。

[訪問日:2021年3月21日]


コメント

  1. 匿名 より:

    2007年頃に通った時には既に全て廃業していたっぽいので1990年代辺りで廃業したのかなと思います。

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