島根県の最果て、美保関町。
今は松江市の一部だが、この島根半島の突端にある港町は古くから海上交通の要衝として栄えてきた歴史がある。
この美保関を歩いてみた。
美保関は、古くは海の関所である「海関」が置かれた港だった。
美保関の「関」は関所の「関」なのである。
江戸時代中期頃からは北前船の寄港地として繁栄。
正式な港ではなかったが、航路上の要港として多くの帆船が寄港したことでまちは大きく繁栄した。
また、美保関の鎮守社でもある「美保神社」の門前町としての性格も併せ持っていた。
この美保神社から東へ延びる「青石畳通り」を150mほど進み、さらに北へ100mほど行くと「仏谷寺」へたどり着く。
これがかつての参道であり美保関のメインストリートであった。
青石畳通り
この青石畳は江戸時代から大正時代頃に敷かれたもので、雨に濡れるとてらてらと青く光ることが名の由来だと言う。
かつて参詣客を相手にした旅籠や土産物屋が並んでいた通りは古い旅館や廻船問屋だった屋敷が軒を連ね、今では美保関を代表する観光スポットになっている。
「御宿 福間館」は創業1717(享保2)年の老舗旅館。
各家に往時の屋号や歴史を記した案内板が設置されているところからは、町並み保存にも前向きなことが窺える。
実はこの青石畳通りは、滋賀の沖島のところで書いた「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれている。
松江市登録歴史的建造物の「三代家住宅主屋」。
3軒の建物を1軒に改修したもので、最も古い部分は文久2(1862)年。
路地が細くて至近距離からでしか写せないので、どうしても建物の一部しか入らない難しい構図になってしまう。
うまく撮るのは至難の業だ。。
美保関には文人墨客も多数訪れており、歌碑や句碑にその足跡を見ることができる。
こちらは昭和5年に訪れた与謝野鉄幹、晶子夫妻のもの。
「地蔵崎 わが乗る船も大山も 沖の御前も紺青のうえ」(旦那)
「地蔵崎 浪路のはての海の気の かげろうとのみ見ゆる隠岐かな」(嫁)
老舗旅館愛好家に絶大な人気を誇る「美保館」。
江戸時代の廻船問屋にはじまり、明治38年から旅館業を営んでいる。
是が非でも全景を写したかったので、ちょっと遊び心も混ぜつつ魚眼レンズを持ち出して撮ってみた。
これでも微妙に上下が見切れるってもう笑うしかないw
対面に立つのは旧美保館本館。こちらもまたえげつない存在感を放っている。
この二棟が向かい合って立つとどうなるかと言うと・・
いや、ホントもうね。
くぁwせdrftgyふじこlp!!!
って感じでしたw
未来に残したい何ちゃらに選ばれるのも納得の風情。
ちなみにですね、この青石畳通り。
夜は灯籠が並べられて優しい光でライトアップされるんですよ。
どれほど幻想的だったか・・いやぁここでお見せできないのが残念。
美保神社のお賽銭の管理を一任されていたことが由来の「賽銭屋」。
神社横から、大正末期に現在の場所に移ったと書かれていた。
北國屋(美保関随一の庄屋)の監視のために移り住んだ加賀藩士の屋敷だったことから「加賀屋」。
青石畳通りを楽しげに散歩するご家族。
こんなの未来に残したいに決まってるじゃないか。
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