青石畳通りの白眉は美保館のあたりだが、そこだけ見ればいいかと言うとそんなこともない。
北へ進路を変えた仏谷寺までの通りと、東へまっすぐ進んだ路地も是非歩いてほしい。
「しょうゆアイス」が気になる太鼓醤油店。
以前雲州平田で食べたのを思い出した。あれ美味しかったな。
早速いい雰囲気だ。
明治前期に建てられた「定秀家住宅」。
北前船との廻船業の独占権を有したことから「北国屋」の屋号で呼ばれていたそうだ。
それでは「仏谷寺」を目指すことにしよう。
石畳の風情はやや落ちるが、仏谷寺付近は見ての通り木造の古民家が立ち並ぶより身近な漁村集落といった趣きである。
そしてもちろん筆者はこっちのほうが好物である。
特に縦構図が映えるこういうところには目がない。
仏谷寺に到着。「佛谷寺」の表記をすることもあるこの寺院は、約1200年前に創建された山陰第二の古刹で、山陰最古の木像仏が眠っている。
見たかったものは見れたので、あとは時間の許す限り路地を彷徨う。
そもそもこの石畳は、帆船からの積み下ろしや積み荷の運搬の効率化のために敷設された、言わば舗装だったそうだ。
そんな大層な江戸時代の代物が今も残っているのはなんとも感慨深いものがある。
かつてのメインストリート(県道の北側の細い路地)を行けるところまで東へ行ってみた。
ずっとこんな雰囲気の路地が続いており、ひたすら歩くのが楽しかった。
こちらは美保館別邸の貸切宿、「月那離宮」。
どうしても青石畳通りのインパクトが強烈すぎてそっちに引っ張られてしまうが、美保関は真髄は路地裏にこそ宿っているのではないか、とこのあたりで気がついた。
青石畳通りの東側はそこまで広いエリアではないので、是非ともすべての路地を歩き倒すことをオススメしたい。
北前船で賑わったのも今は昔。
そこにあったのは、そんな華やかな歴史など綺麗さっぱり忘れてしまったかのような、長閑な港町の風景だった。
[訪問日:2021年9月20日]
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