一宇街道沿いの山村集落。つるぎ町一宇の町並み

徳島県
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以前、徳島県つるぎ町の貞光にある二層うだつの町並みを歩いた。

もうひとつあったうだつの町並み。貞光の「二層うだつ」に全俺が震えた
「祖谷のかずら橋」と聞けばご存知の方も多いだろう。徳島には、祖谷(いや)というとんでもなく山深い地域...

当時、台風のせいで登り損ねた剣山へ登るために、再び貞光へやって来た。
豪壮なうだつを横目に、一宇街道(剣山街道)をぐんぐん山のほうへ登って行った。

剣山への道すがら、ちょうど中間あたりにある岩戸温泉で身を清め、臨戦態勢を整えた。
翌朝のアタックに備え、この日は登山口の駐車場で車中泊の予定だった。

出発を思いとどまらせたのは、周辺の集落がいかんせん自分好みの町並みだったことで、まだ明るいしせっかくなら少し歩いて行くか、ということになった。

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酷道を歩く

およそ国道とは思えない酷道だった。

このあたり、現在は「つるぎ町一宇」と言うが、平成の大合併までは一宇村だった。
岩戸温泉のあたりが北端で、剣山の手前まで広がるほぼ全域が山林という山間の村である。

ここから南は限界集落を含む小さな集落が転々と続く山道で、ちょうど剣山への中間ということもあり、一宇村の中心だったこのあたりが街道の宿場のような役割を果たしていたのだろう。

ただし、昭和22年には8,000人を超えていた人口も、2020年時点では約700人。
もはや旧一宇村そのものが限界集落と言ってもいいぐらい猛烈に過疎化が進んでいる。

商店もすでに商店ではなくなっていた。

このあたりが赤松地区で、先述のとおり村の中心部で最も家屋が多いエリアとなる。

看板の錆にこの集落の栄枯盛衰を思う。

まちの中心部でありながら、すでに無住となっているであろう住宅も散見される。

まるでパッチワークのよう安普請だ。素人が施工したとしか思えない。。

沢田マンションのほうがはるかに立派に見える…

元旅館の深山荘。

建物の背後には貞光川が流れている。
家々は崖っぷちのキワキワに建てられている。

一宇街道はここで左手に進路を変え、川を渡る。

橋を渡らずに真っ直ぐ進んだところで出会ったラッキー商店
どう見てもアンラッキーな余生を送っているようにしか見えなかった。

今度はちゃんと川を渡る。
どこまで行くかは決めてなかったが、もう少しだけ歩くことにしよう。

すでに17時を回っていたので残された時間はそんなに多くはなかった。

相変わらず国道に見えない国道に沿って家々が立ち並んでいる。
川と山に挟まれたわずかな土地に道路を通したのだからこうなることは必然だった。

このあと夜の一宇街道(438号線)を剣山まで登っていったが、本当にタフなワインディングロードだった。
筆者は山道は慣れっこなので別にどうってことはなかったが、ペーパードライバーや運転に自信のない方がいきなり夜に走るのはあまりオススメできない。そんな道だった。

再び橋が架かっていた。
川沿いの集落のありようがよくわかる風景だった。

そろそろ引き返したかったので先に進むのは止め、橋を渡り対岸の集落を見に行くことにした。

2010年に休校した旧一宇中学校。

そそられる路地を進む。

左は元駄菓子屋のような雰囲気だった。
学校にも近いしそれは充分あり得そうな話だと思った。

元々何だったのか、ずいぶん興味深い建物だった。

やや洋風の、こちらはアパートか何かだろうか。
勘を頼りに歩いて来たが、面白い建物が見れたのでよかった。

 

ここらで切り上げ、翌日は予定通り剣山へと登った。

朝から雲ひとつない快晴で、素晴らしい山行だった。
山頂からはご覧のように次郎笈の山容がよく見渡せた。

※剣山は別名「太郎笈(たろうぎゅう)」と呼ばれる。正面に見える次郎笈はその兄弟峰である

 

かつて信仰の山として、多くの人が一宇街道を歩いて剣山を目指したことだろう。
つるぎ町一宇の集落は、その史実が垣間見える山村集落だった。

[訪問日:2021年9月23日]


コメント

  1. 同行二人 より:

    引地商店さんはインターホンが鳴りっぱなしなので見てくれとおばちゃんに声をかけられ、家の中まで上がらせてもらったことがあります(おばちゃんの荷物がインターホンのスイッチの上に乗っていたというオチ)。

    駄菓子屋さんの奥の建物は病院の跡です。

    • machii.narufumi より:

      病院でしたか。そのおばちゃんとラッキー商店の話を聞いたときに、あの建物についても何か教えてもらった気がしていたんですが、、こちらもすっかり忘れていました(笑)

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