「祖谷のかずら橋」と聞けばご存知の方も多いだろう。
徳島には、祖谷(いや)というとんでもなく山深い地域がある。
そう、この日泊まる予定だった場所である。
旅館を予約したとき、
「その時期は路面凍結の恐れがあるから絶対○○経由で来るようにしてください」
としつこく念を押されたばかりか
「状況がわからないのでまた直前に電話してください。どうせその時期はほとんどお客さんいないと思いますので」
と、営業そのものを危ぶむような発言まで飛び出し、その時点で今回の旅が相当過酷なものになることは覚悟していた。
脇町から旅館までは最短ルートで55km。
指定されたルートで行くと85km。
ぐぬぬ。だが、背に腹はかえられぬ。
単車である以上、遠くても安全な道を選ぶしかなかった。
ただ、腹をくくる前にもう一ヶ所寄りたい場所があった。
つるぎ町貞光
美馬の脇町から10km。吉野川の対岸、つるぎ町の「貞光」というまちへやって来た。
ここにもまた、うだつで名を馳せる町並みがあると言うのでどんなところか興味があった。
目的の場所は、旧貞光町(合併して2005年につるぎ町へ)の中心部、一宇街道沿いにあった。
立派なうだつが上がる商家風の建物が比較的まとまって点在している。
うだつの話は後に譲るとして先に歴史の話をすると、貞光は江戸中期以降、葉タバコの産地として栄えたまちである。
藍で栄えた脇町とともに、二大商業地を形成していた。
一宇街道は「剣山街道」とも言い、古くから修験道の山として知られた剣山へ向かう街道である。(現国道438号)
つまり剣山への登山口ということにもなる。
貞光はこの一宇街道と伊予街道とが交わる場所に位置し、吉野川にも面していることから交通の要衝として栄えたのだ。
寛政3(1791)年建築の旧庄屋屋敷。
無料開放していたので庭だけ見せてもらった。
母屋も含め、非常に手入れが行き届いており実に清々しい。
町並みを歩いてみると、伝建地区になってることもあって脇町のほうが圧倒的に知名度が高いのはまぁ仕方がない。建物の密集具合もまたしかり。
だが、翻ってうだつに目をやると・・
こちらは圧倒的に貞光のほうが豪奢で風格がある。
ここのうだつは二層構造になっているものが多く、それゆえ「二層うだつの町並み」と呼ばれている。
旧一宇街道。
新しい民家や空き地なども見られ、昔日の風情はだいぶ薄まっていた。
数で言うと、うだつを持つ建物が約50軒あり、そのうち15軒ほどが二層うだつだそうだ。(そんなに多いわけでもないのか…)
うだつの種類にも色々あって、これとか「二層厨子上下共切妻型」と言うらしい。
こっちは「二層厨子上切妻下寄棟型」。
建築に明るい方なら簡単ですね。「切妻」「寄棟」は屋根の形状を表す言葉。
上下がそれぞれどっちの形かと言う意味。
あと、こんな風にうだつに鏝絵が描かれているのも貞光の特徴。
これについても後ほど。
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