那覇市・桜坂社交街

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戦後、那覇随一の社交街として一時代を築いた「桜坂社交街」。
今では場末の盛り場然とした、歩きがいのある町並みがそこには存在している。

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昭和の残影がしぶとく残る街

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桜坂の有名店、「BAR エロス」。
背の低いのと幅が激ボソのを含めてドアが4つもある。どこから入るんですかコレ。

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一番右のは関係者用らしい。しかしこの幅じゃメタボ氏は無理だ。きっと腹がつっかかる。

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廃業してしまったのか、看板が外されたラーメン屋があった。
この辺りで道が二股に分かたれ、新しい大通りは右に逸れていく。そのまま桜坂中通りを真っ直ぐ進み、社交街の最もディープなエリアに向かう。

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全体的に、個人経営のスナックやバーが多い。否、しかない、と言っても過言ではなく、いかにローカルコミュニティでの交流の場となっているかを思い知るのである。
それとほぼ同時に、「社交街」という妙味に満ちた名の意味を改めて噛みしめる。

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この路地の雰囲気はどうであろう。20年来の気心の知れた友人と肩でも組みながら千鳥足で闊歩したい風情である。

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何気なく一瞥したところで噴き出したのがこの看板。
沖縄アフターズスクールww
何の店かと思ったらゲイバーだった。

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向かいのスナックが入居するビルは、風化の度合いが実におびただしい。
これぞ半世紀の時を刻んだ証である。

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桜坂中通りをほぼ上り切ったあたり。
ちょうど左手のオンボロビルの裏手に、神原大通りへ抜けるニューロードがある。

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桜坂中通りとオリオン通りに挟まれたあたりが、最も濃密な一角となっている。
最後にその辺りを少しウロウロしてみよう。

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古くから映画館があった桜坂には看板絵師が何人かいたようで、ところどころ路地で映画看板を見かけた。
ちなみに筆者は「リンゴ園の少女」を観たことがないので、リンゴ追分のイメージはもっぱら挿入歌で使われる「赤線玉の井 ぬけられます」である。

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怪しげな細い路地を見つけたのでふらふらと分け入ってみると、「御宿 紀ノ国屋」と書かれた渋い民宿が目の前に現れた。
もはや原付でも通行が難儀な細さである。自転車がせいぜいであろう。

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その民宿を囲むように張り巡らされた路地は、さらにこの先で迷路のように折れる。
まるで魔窟のような趣きである。この街が元気だった頃には街娼もいたと言うから、元々は連れ込み旅館だったのかもしれない。

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紀ノ国屋のお隣には、「サロン 縁むすび」なる青線的な雰囲気の店が廃墟となっていた。
なるほど、ここで縁を結んで隣のお宿へしけ込んでいたわけですな。至極単純明快である。

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程なくして、オリオン通りのゲートへと出てしまった。
正面に見える駐車場の向こうが、竜宮通り社交街。位置関係的にはふたつはほぼ隣り合っている。

赤線から盛り場まで、沖縄の復興期を彩った社交街をいくつか見てきた。
内地とは異なる独自の歴史的背景、文化的背景を持つ沖縄では、やはり夜の街でも同じように特徴的で面白い街が多かったように思う。

たぶん、少なくとも向こう10年くらいは沖縄に行くことはないだろうけど、次に訪れたときには今回歩いたところがどう変わったかを、真っ先に確かめに行きたいと思う。

[訪問日:2014年12月25日]

〒900-0013 沖縄県那覇市牧志


コメント

  1. maru より:

    そもそも「社交街」という名称からして
    レトロ感がありますね。
    昔は~では済まされない、大人の世界を感じます。
    21世紀を迎えてから、男くさいものとか汚らしい物、場所が、
    どんどん失われていますね。
    少しでも風潮から外れると叩かれる世の中なのかな?

    大人の男がうろつける場所が少なくなりましたね。
    私自身はお酒呑めないので、繁華街をうろつくことは無いのですが。

    「御宿 紀ノ国屋」、、、いいな~!泊ってみたい。

    • machii.narufumi より:

      確かにそうですね~。人と人とのつながりが今とはずいぶん違う意味を持ってた時代なのかな、って気がします。
      科学技術が進歩したのはいいんですが、キレイで画一的なモノばかり増えてもやはりつまらないと思いますね。
      昭和の名残を見れる最後の世代として、これからも色々な場所に足を運んでいきたいです。

      紀ノ国屋。沖縄を訪れた際には是非!

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