長年のライフワークとしてまさに不動の地位を確立していた「旅」を、このときばかりはさすがに嫌いになりそうになっていた。
実は前回まで綴ってきた沖縄遠征の前に、同じく三泊四日の日程で韓国へ出かけていた。
韓国から戻り、中二日で沖縄へ。沖縄から戻り、また中二日で今度は7泊7日の旅へ出ようと言うのだ。
目的地は他でもない。四国である。
そんなわけで、残り幾日もない年の瀬の早朝。
いくらまとまった時間があったとは言え・・もうこんな無茶は絶対にしないと固く心に誓いながら、夜行バスで9年ぶりの高松へと降り立った。
初日から疲れてる旅とかちょっと今まで記憶にない。早くも旅の前途に暗雲が垂れ込める。
高松築港駅から琴電琴平線に乗り込み一駅。片原町で下車する。
前日は雨が降ったのか、路面が黒々とした色彩を帯びている。
この片原町には・・かつて赤線があったというのだ。
古色じみた駅舎とは対照的に、対面には真新しいコインパーキング。
しかしその背後には強烈な存在感を放つ、ネットで覆われた廃屋が建っていた。一気に眠気も吹き飛んで散策モードにスイッチが入る。
パラダイス通り
高松の遊里と言えば、高松駅の東側に旧八重垣遊郭から転じた特殊浴場の街、というか半島がある。「城東町」と聞けば膝を打つ諸氏も多いのではないか。
一方、この片原町にあった赤線はかつて「パラダイス通り」と呼ばれていたと言う。
駅徒歩1分で、赤線の遺構と思われる建物に出会う。
パラダイスと聞けば、よほどマニアックな人間でない限りは洲崎パラダイスを想起する。
全国にその名を轟かせた廓と、偶然にも同じ名を与えられた色街はどのような姿だったのか。いざ散策へと洒落こもう。
古色蒼然とした案内版が、ここがかつて盛り場であったことを旅人に告げていた。
いちいち音読はしないけど、結構パンチの効いた名前が多い。
なかなかスタイリッシュな意匠のスナックらくがきさん。
駅前通りと交差する路地にはラーメン屋が一軒。
香川と言えばうどん王国。長年肩身の狭い思いをしてきたのではなかろうか。
その先には、役目を終え今まさに無に帰さんとする廃屋が所在なげに建っていた。
高松駅から近い場所だけに、再開発の魔の手はゆるゆると迫り来るようであった。
フェリー通りに面した、パラダイス通りの入口から撮影。この細い路地の突き当たりが片原町駅となる。
後付けとは思うが、こんなホーロー看板がさも当然であるかのように残っていたりする。
カフェー建築でよく見かける丸窓。妖艶な配色は、ここが色街であったことを示唆するかのようである。
そして目を引く豆タイル。期待以上に名残が見られたことで自然と顔もほころんでくる。
疲れなどどこ吹く風。とにかく今日から7日間、決めたスケジュール通りに行動しなければならないのだから楽しまなきゃ損である。
パラダイス通りには、約30軒の特飲店があったそうであるが、メインであるこの通りに交差するように二本のさらに細い横丁がある。
次頁ではその横丁を見ていきたい。
(2ページ目へ続く)
コメント
う~む!お疲れさまです。
琺瑯看板は、いかにも的に感じます。
後から、趣味で取り付けしたのかな?
やっぱりそうですかねぇ。僕も、書いといてなんですがな~んか不自然だなぁと思ったんですよね。