洲崎遊郭跡探訪~失われたパラダイスを訪ねて~

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東京にあった遊郭、赤線跡を語る上でどうしても外すわけにいかないのが今回綴る洲崎である。
現在では当時の痕跡を見つけるのが難しくなってしまったその場所は、江東区の東陽一丁目。かつてそこには大正期には吉原と双璧を成すほどの規模にまで発展した遊郭があった。

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最寄り駅は東西線の木場か東陽町。木場のほうが若干近い。木場駅から永代通りを東へ行くと、東陽三丁目の交差点にたどり着く。この南側がかつての洲崎遊郭の入口だった。

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往時の洲崎を知るには、1956年(昭和31年)に日活が製作した『洲崎パラダイス赤信号』という映画を観るのが手っ取り早い。その中で、なんとこの角にあるそば屋さんが登場しているのだ。

そば屋

これがその問題のシーン。撮った角度が異なるが、中央に見えるのがそのそば屋さん。外観は変わっているが、かれこれ60年以上この場所で営業していることになろうか。これにはちょっと感動した。

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劇中での舞台となる酒場『千草』があったのが、写真左側に見える、プレハブのような不動産のあたり。交差点を南に進んだすぐ右側にあった。

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現在でも安酒場がしぶとく残っている。戦後は赤線に移行した洲崎で、おそらく当時からここにあったであろうことが容易に想像できる。

千草

これがその千草。通りの奥に並ぶ店のあたりが先の酒場がある場所になる。

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洲崎橋跡

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その元千草のすぐそばに、「洲崎橋跡地」という碑が残る。かつてここには洲崎川が流れ、洲崎橋という橋が架かっていた。洲崎遊郭は南を海、その他三方を水路に囲まれた「くるわ」で、唯一の出入り口がこの北側に架けられた洲崎橋だった。
戦後、「洲崎パラダイス」と呼ばれる赤線時代はネオンサインのアーチがここにかけられていた。

アーチ

洲崎橋と洲崎パラダイスアーチ。

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現在は洲崎川は埋められ、緑道公園にその姿を変えてしまった。
川が流れていたところは、道路反対側へ抜ける地下道になっている。

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さて、元洲崎橋を渡り郭内へ。大門通りの名は今でもちゃんと残っていた。

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奥に小さく見える坂道が汐浜運河に架かる南開橋で、洲崎遊郭の南端にあたる。昔はここまでが海であった。

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上とほぼ同じ場所から。北側、大門方面を望む。

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少しだけ視線を右に移すと、妙に真新しいマンションがひときわ高くそびえているのがわかる。
実はここにはパラダイス時代に「サンエス」という屋号だった、青いタイル貼りの柱を持つカフェー建築があったのだが2012年に解体されてしまった。

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サンエスの斜め向かいでやたら存在感を放つアパホテルは、元はホテル東陽。遊郭時代は「本金楼」だった場所。

大門通りはここまで。それでは、まずは洲崎パラダイスがあった通りの東側を歩いてみようと思う。

(2ページ目へ続く)

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