江戸時代は金毘羅参りの海からの玄関口、明治以降は鉄道の起点として長きにわたって交通の要衝として栄えてきた香川県多度津町。
その小さな港町に置かれた遊里の名残を求めてぶらぶらと探索してきた。
引き続き東浜
県道21号線と港へ向かう215号線が交差する地点。ここでも訝しげな建物を目にするわけである。
この酔狂とも言える色街めぐりも、そこそこ長いことやってるのでこういう痕跡を見逃すことがあまりなくなってきたような気がする。
何ら自慢できることでもないんですがね。(自嘲気味に)
※このあたりは埋立地で遊郭ではなかったとコメントでご指摘頂きました
別に言い訳したいわけじゃないんですが、古い町並みは全般的に好きなんですよね。
それこそ重伝建から産業遺産、洋館から商店街まで。
ただ、ここ最近当ブログで紹介しているものが色街ばっかなので、あまり変なイメージを持たれても困るなぁとw
いつだったか書いたことがあるけど、色街には全国的に古い遺構がどんどん取り壊されてるという現実があるので、優先的に歩いてるというのは確かにあるんですよ。
逆に重伝建みたいな保存地区はいつになっても大丈夫だろう、となって後回しになるわけ。
どっしりとした風格のある長屋を発見。
まぁ、そうは言っても今は色街歩きが一番楽しい。そこは素直に認めます。えぇ。
なんて与太話をしているうちに港に出た。
寒空の下、静かで閑散とした風景だけが眼前に広がっている。
舟運で栄えたのはもう遠い昔のことである。
西浜を全部見ないうちに東浜に向かってしまったので、最後に西浜の最奥部を目指して残りのエリアを舐めるように歩いてきた。
いきなり素晴らしい物件に出会って鼻息が荒くなる。
すでに活気を失った町並みにおいて、どこか不釣り合いですらある豪奢な妓楼建築たち。往時の繁栄を思わせるにはそれは少し残酷であるとさえ思えた。
多度津の遊客には当然船乗りも数多かったという。
遊女たちは、馴染みの客には小舟で乗り付けて身の回りの世話をしていたそうだが、瀬戸内の「おちょろ舟」のような習慣がここ多度津でもあったというのは驚き。
そう言えば朝早かったこともあってか、ほぼ人に出会わなかった気がする。
その不気味なほどの静けさとは対照的に、軽やかな足取りで写真を撮りまくる不審人物が一人。
もし自分が住人だったら絶対関わりたくない(笑)
まさにクライマックスとでも言うべきか。
最後に歩いたこの辺りが、まさに多度津遊郭の中でも白眉と言える場所であった。
それはこの一枚に集約されていると言っても言い過ぎには当たらないと思うわけである。
絶妙な曲線を描いた路地を挟んで密集する妓楼建築。
写真の腕がアレなのは仕方ないですが、雰囲気だけでも伝われば幸いです。
ダメ押しがこの棕櫚の木。
とりあえず目指した最奥部に最も濃密な一角が待ち受けていようとは。思いがけない収穫を得て、かつてこの地に上陸した参詣者がこぞって目指した琴平の街へと向かうことにした。
最後におまけ。
桃陵公園から、西浜、東浜、多度津港を望む。
[訪問日:2014年12月31日]
〒764-0016 香川県仲多度郡多度津町東浜11 多度津港
コメント
いやいや、楽しませていただきました。
関西方面から向こうは、あまり歩いたことないもので。
いやはや、そう言っていただけるのは救いです。
今回は写真の数と裏腹に書けるネタが少なくて結構苦労しました(-_-;)
東浜の郵便局より海側は埋め立てられてるので、明治中期以降の建設です。町役場の方に話を伺ったところ、遊郭ではなく普通の旅館として営業していたそうですよ。金毘羅や善通寺へ来た人が船や電車が出る翌日まで泊まる宿だったそうです。
役場の方が仰っていたのであれば信憑性も高そうですね!
貴重な情報ありがとうございます。