兵庫県の西脇市をご存知だろうか。
日本の中心にあたる、東経135度・北緯35度が交わることから「日本のへそ」として大々的にPRしているまちである。
おそらく、今この記事を読んでいる人の圧倒的多数が「どこそれ?」となると思う。
この西脇。「播州ラーメン」というご当地ラーメンがあり、筆者は10年ほど前に友人に連れられて現地で食べたことがある。
しかし、である。
あの日、呑気にラーメンなんてすすってる場合じゃなかったことを今になってから思い知ることになり、言葉にならないほどのショックを受けた。
そんな西脇に来たのも、たぶんあの日以来だったのではないかと思う。
ただただ懐かしかった。
で、何しにこんなマイナーなまちにやって来たかと言うと、この西脇に“超有名な木造アーケードがある”と言う話を聞きつけ、是非一度見てみたいと思っていたのである。
その場所は、加古川線「新西脇駅」から北へ1kmちょっと。
県道から一本入った、なんの変哲もない住宅街の中にあった。
ホントにこんなところにあるのかよ・・
Googleマップを頼りに半信半疑で歩いて行くと・・あった。あれ・・か?
旭マーケット
突如目の前に現れた長屋に、しばし見入ってしまった。
長い以外は、どこにでもありそうな平凡な木造住宅。
少なくとも、今この時点でそれ以上の感想を求められても言葉に窮してしまうことは明らかだった。
そんな、向かい合う長屋の間、その隙間に足を踏み入れた。
・・息を、呑んだ。
なんて美しいアーケードだ。
今でも生活の匂いが感じられるのは、推測でも何でもなく現に住人がいるからであった。
目に映る光景が、にわかには信じられなかった。
このアーケード。巷では「旭マーケット」と呼ばれている。
そしてここはどうやら、西脇が歩んできた歴史と大いに関係がありそうだということがわかった。
播州織の一大産地として
恥ずかしながらまったく知らなかった。西脇は、江戸時代から続く綿織物、「播州織」の一大産地らしいのだ。
ピーク時には300軒近い業者を数え、文字通り隆盛を極めた地場産業。
この旭マーケットは、元々は工場で働く女工さんの寄宿舎として建てられた、という説が有力なのだそうだ。
ちなみに、「播州ラーメン」は女工さんの舌に合う味を追い求めて昭和30年代に生まれたものだと言う。まさしく正真正銘の“ご当地ラーメン”である。
ここの生い立ちは、諸説あれどおおむね大正後期~昭和初期頃と言われているようだ。
さすがに竣工当時の姿ではないと思うが、それでも100年ぐらい経っているのだから歴史は折り紙付きである。
ただ、見た目的には頑張ってもせいぜい70~80年ぐらいだろう。名前を考えると途中で寄宿舎から商店街に近い形態に姿を変え、建物も増改築をしたと考えるのが妥当な気がする。
ところでこの旭マーケット、筆者のように古いものが好きな人の間ではすこぶる有名な場所。
SNSを筆頭に、ブログ等のメディアで取り上げられまくってるのがその理由。
ネットの力ってすごいよね…。
マーケット内は、二本の路地が並行している。
つまるところ、長屋が四棟並んでるような格好になっていることが中に入ってみてわかった。
という訳で、もう一本の路地も見てみよう。
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