小江戸・川越には、蔵造りの町並みと呼ばれる「一番街」の他にもうひとつ有名な見所がある。
それが「菓子屋横丁」と呼ばれる小路である。
菓子屋横丁
札の辻交差点から西へ2分ほど歩くと見えてくるそこには、ご覧のように菓子作りの店が軒を連ねて横丁が出来上がっている。
小路へ足を踏み入れるとこの通り。休日はとにかく大混雑。
みんなお菓子大好きですね。
明治初頭に、「養寿院」の門前町として賑わうこの地で菓子の製造販売が始まったのが発祥とされており、関東大震災で壊滅した東京に代わって発展。最盛期には70軒以上の店があったという。
意外な歴史があるもんですね。
おそらく、まだ記憶に新しい人も多いのではないだろうか。
この菓子屋横丁、昨年6月に5棟が全焼するという大きな火事が起き、出火元の店主がなくなるといういたましい事故があった。
この日の訪問から割とすぐだったので驚いたとともによく覚えている。1週間も経たないうちに営業を再開し、今ではかつての賑やかな横丁を取り戻しているそうではあるが。
冗談ではなく、まさに平成の「川越大火」である。
これが蔵造りだったら類焼を防げたのか・・と野暮なことを考えたくなるほどにやはり火災は恐ろしい。
そのため、今ではもうこの風景を見ることはできない。
変わる前の町並みを、変わった後に載せるというのはなんとも複雑な気分である。
さて、まだ「一番街」の東半分を見ていなかったので、再び蔵造りゾーンへ。
川越の地ビール。その名もCOEDO。
すごいことに、品質で世界的な評価を受けているらしい。以前来たとき飲んだけど、確かに飲みやすかった記憶がある。
この通りの風情は異常。
圧縮効果を狙って望遠側で一枚。
圧巻すぎてもうぐうの音も出ない。
この洋風建築は埼玉りそな銀行。大正7年(1918年)竣工。
一番街を歩くとたぶん一番目につきやすいのがこの建物。存在感とでかさがそれほど際立っている。
こちらは聞信会館といい、奥に見える法善寺の関連施設。
かつては「きんかめ」という時計や宝石を扱うお店だったとか。
昭和2年(1927年)竣工。
消火器と新聞受けがまたたまらなくレトロ。
これだけでご飯3杯はいける。
仲町の交差点を折れた先にある、川越商工会議所。
元々は武州銀行の川越支店だったというモダン建築は、昭和3年(1928年)竣工。
パルテノン神殿をほうふつとさせる佇まいは、もちろん国登録有形文化財。
蔵造りが建ち並ぶ美しい町並みが今に残る小江戸・川越。
保存地区だから、という理由で片付けられないほどに文句なしで素晴らしい景観を目の当たりにすれば、人々を魅了してやまない訳がよくわかる。
まだ行ったことがないという人は。
思い立ったが吉日です。今度の休日は是非川越へ。
[訪問日:2015年4月29日]
コメント
川越は一日では足りませんね。
私も撮影していて、最後の方は少し古いぐらいじゃ
シャッタ-きりませんでした。
密度が濃すぎます。
かなりしっかり歩かれたのですね。
僕は結構適当なのでサクッと撮り歩いてこの後喜多院裏に向かいました。
あ、次のネタばらしちゃいましたねw