謎多き遊里の残照を求め、やって来たのは群馬県太田市。
事前リサーチで、どうやら元妓楼風の建物が残っていることまでは掴んでいたが、それは前頁「三吉医院」さんのすぐ先にあった。
妓楼風の建物
よかったまだあった。ひとまず安堵する。
嗚呼・・あまどいが全治1年の複雑骨折みたいになっている・・合掌。
二階の窓を見上げたら、この建物が「クロ」と言われる所以がよく理解できた。
このドアをどれほどの男たちがくぐったのだろう。
その多くはおそらく産業戦士たちであろう。スバルの前身は中島飛行機という航空会社で、戦時中は戦闘機を生産していた。
色情の残香が染み付いたその建物は、壊されることさえ許されず苦悶の表情を浮かべながら平成の世を生かされているように見えた。
安らかに眠れる日を待ちわびながら。
※こちらの建物も2018年頃に解体され現存しません。
もう少し付近の捜索、じゃなかった、散策を続ける。
前方に置かれた円柱形の構造物に目が留まる。
このマーク。ぱっと見市章かと思ったけど、調べてみたら全然違いました。
それにしてもこのタイル張りは何ですかね。
なんちゅー不思議な意匠の建物だ。
赤線の名残なのかな・・
中途半端な二階建ての面白い木造建築があった。
すでに主を失ったようであったが家財がそのままになっていた。
そのすぐ脇に、引き込まれるような路地があったのでふらふらと入って行く。
目印は質屋の看板です。
その先には質屋さん。立派な蔵も健在。
遊郭にはつきものの質屋。遊ぶにもお金が要りますからね。
見つけた範囲では、色街の名残っぽいのはこんなところだった。
駅に戻りがてら、いくつか味のある古民家があったのでついでに紹介。
それにしても、ちょこちょこ廃屋があるのがずいぶん気になった。
これが地方都市の厳しい現状なのか。
とてもターミナル駅の駅近とは思えない。
都会では少子化を感じ、地方では高齢化を感じる。
高齢化に関しては、「人」に限った話ではない。「建物」においても同様なのだ。
それを強く感じた太田散策であった。
駅周辺には市が所有する用地がいくつかあったが、周囲がこの状況で何を作ろうと言うのか。
あり得るとしたら大規模モール・・しかしそこに来るのは地元住民より郊外から車で来る人のほうが多いという皮肉。
そんな未来が容易に描けてしまうのが哀しい。
せっかく来たので焼きそばを頂いてから帰路に着いた。
ね?普っ通のソース焼きそばでしょ?
寄ったのはこちらの田舎屋さん。
[訪問日:2015年9月13日]
〒373-0026 群馬県太田市東本町16 太田駅
コメント
2018年に訪問したので、妓楼風の建物と和菓子屋のタイルは取り壊されていたかもしれませんが。イラストレーターのキンシオさんが、7文字地名の旅で、新田権右衛門町を散策したラストに、太田駅周辺にやって来ました。東本町18辺りをウロウロしていたら、キンシオさんに声をかけて来た男性が、自ら経営している居酒屋に案内しました。現在よろずや商店と看板が変わっていますが、元お茶屋さんでおばあちゃんが住んでいたという店内は、急な階段や角地に建っていて独特の部屋の構造。窓枠は木で、調度品が全て昭和になっていて、キンシオさんは喜んでいました。居酒屋オーナーは、他にNorthとして現在は営業しているバーを開店準備中だったし、現在更地ななっている東本町17になつかし屋たこ焼きも経営していました。そのたこ焼き屋でキンシオさんは焼きそばを食べて、店のカウンターにイラストを書いて行きました。オーナーは、できるだけこの商店街を残したいと奮闘している最中で、キンシオさんも応援していました。あれから6年経過しました。よろずや商店の建物はまだ残っていて安心しましたが、なつかし屋は無くなっていますね。調べて見ると、すぐ近くの大衆食堂わっしょいに移転したようです。果たしてそこにキンシオさんのイラストはあるのでしょうが?いずれ訪問する予定です。
定さんのコメントでちょっと調べてみたところ、それぞれ妓楼風の建物は2018年2月、旧三吉医院は2020年11月以降のストリートビューでなくなっているのを確認しました。
どちらも今風の住宅が建っていて、つくづく時の流れは残酷だと感じます。
よろずや商店さんも見つけました。細長く独特な建物ですね。こちらも最後が2020年11月なので、それ以降どうなっているかはちょっとわかりません。
そこの路地には古い建物が連なってますが、何気に駅前は再開発がゆるく進んでるので、もしかしたら・・と思わせる一角ですね。
私が訪れのはもう9年も前という事実に、自分ごとながら驚いている次第です。