前頁で紹介した通り、金津園は戦後岐阜駅南口に移転してきた。
見てくれがぶっ飛んだお風呂屋さんばかりかと思いきや、実は当時建てられた赤線時代の遺構がちらほら残っている。
赤線時代の遺構を探せ
まず駅を出てすぐに出会うのがこちらの旅館。
まぁ・・転業だよね?
以前は中華料理屋のような看板が掛かっていたようであるが・・廃業してしまったようだ。
遺構っぽいけど、どっちかと言うと国際園で見られるようなタイプの建物。
もう見たまんま分かりやすいこちらは金津でも有名な「旅館想い出」。
もし今度岐阜に来る用事があれば絶対ここに泊まりたい。
金津園はそもそもが駅近だから、下手なビジネスホテルより普通にアクセス面で優位だと思うし。
そしてたぶん最も有名なのがこちらの「喫茶むらやま」さん。
カフエー建築をそのまま喫茶店に転用した素敵なお店。
珈琲でも飲みたかったんですがね。さすがに大晦日は休業日でした。
まぁ朝9時だったんで平日でもちょっと早かったかもしれませんが。
で、その次に有名なのがこちらのカフエー建築。
現在は個人宅として使われている。
往時の屋号は「ふ志゛もと」。なるほど、だから富士山なのか。
“富士は日本一の山”
商売繁盛を見込んでつけられた名前だというのは察しがつく。
それにしても。久しぶりにこういう純然たるカフェー建築を見たような気がする。
高揚感で武者震いがしたのも最近とんと記憶にない。
【2017年1月追記】
こちらのふじもとさんですが、解体され更地になってしまいました。長い間お疲れさまでした。
心よりご冥福をお祈りします。
まさに戦後の名残をとどめる一角。
太陽に燦々と照らされ輝くバラック建築。実にエレガントである。
いい感じの酒場。
結構味わい深い町並みが残ってるもんだなぁ。正直これほどまでとは思っていなかった。
たぶんそれは戦後形成された街だからだろうな。
戦前からのところは、今頃残念なことになっているところがほとんどだし。
そうだ、電柱チェックを忘れていた。
ここではそのまま「金津園」の文字が残っていた。ちなみに住所は既出ですが「岐阜市加納水野町」。
指定地のもっとも南西側には防犯組合と稲荷神社があった。
かつて遊女たちの篤い信仰を集めたことは想像に難くない。
南側の路地を歩いて行くと出会ったのは「む?」と思えるこの物件。
三階が妙に不自然だしそもそも・・
うん・・遺構っすね。認定しました。
このあたりはお店は皆無なので、赤線時代はもうちょっと広い範囲に店舗が点在していたのかな、と。
さて。こんなところで金津園散策は切り上げましょうかね。思った以上に収穫があったので足取りも軽い。
東海道線の高架と忠節橋通り。このガードを越えた先に、前回歩いたあの国際園がある。
歴史的に因縁を持つ両者は、今ではそんなこと忘れてしまったかのように、それぞれが安気な余生を送っているかのように見えた。
おしまい。
[訪問日:2015年12月31日]
コメント
意外と残っているのですね。
タイル張りの物件は本当に少なくなりましたから。
「鳩の街」も壊滅状態だし。
昔から歩いてるmaruさんが言うのですから相当減ったんでしょうね・・
鳩の街はあと二軒ですよね、変わってなければ。
「いろは」という店は木造です。昔の「遺構」を改造したと思われます。
一度行って見ては如何でしょうか?
情報ありがとうございます。
一番角地にあるお店ですかね。確かに遺構のような趣きがあります。
今度岐阜に行く機会があればじっくり見てきたいと思います。