横浜市の東端に位置し、横浜らしさがまったくない、むしろ川崎寄りの街である鶴見区。
街のほぼ真ん中を、かつて日本一汚い川という不名誉すぎる称号を冠された鶴見川が流れ、京浜運河に流れ込む下流には京浜工業地帯が広がる労働者の街となっている。
その鶴見に、青線跡のカフェー街があると聞いて意気揚々と出かけてきた。
場所で言うと、鶴見区本町通4丁目界隈がそれにあたる。商店街の終わりにでかでかと看板があるので行けばすぐおわかりになると思う。
商店街自体は、いたって普通の商店街。栄えてるわけでもさびれてるわけでもないごく普通の商店街。
交差点を西に折れたあたりが目的地となる。いきなりこんな物件がお出迎え。
三河屋という屋号。確信はないけどたぶんその類の建物でしょう。
最初の十字路を南に折れ、少し進むと。
あーこれは間違いない。
不自然な増築、出入り口が複数ある、どこをどう見ても遺構だ。
見本のようなカフェー建築
さらにもう少し進んだところにあるのがこれ。これを見たかったがためにわざわざ行ったと言っても過言ではないカフェー建築。
ピンクの壁と緑色のタイルの組み合わせ。衝撃的すぎて鼻水、いや、ため息すら出そうである。
ちゃんと納税している優良店舗であることの証。
警察に売春を許可(黙認)されていたお店を特飲店(特殊飲食店)といい、その地域を特飲街と呼んだ。これがいわゆる赤線である。
対して、飲食店の届け出のまま店舗の二階で非合法に売春させていたお店もあり、その地域を青線と呼んだ。
外観は完全に特飲店だけど、ここは青線だしこの場合はどっちになるのかどうも判然としない。飲食店として納税してたってことなのかな。
そう言えば横浜曙町にあるカフェー建築、「スナックルミ」もこの配色だった。
因果関係はないだろうけど、同じ市内だけに不思議な因縁を感じる。
こんな分かりやすいカフェー建築でも、今では住宅として利用されている。
もう春をひさぐ女もいなければ、ドアをくぐる好色男もいない。
そしていずれは解体の憂き目に遭い、人々の記憶からも消え去ることになるのであろう。儚い限りである。
さらに付近を散策。立派な看板建築。屋号が消えかけているので何のお店だったのかは不明である。
ここが青線であったのは、密集するスナック街にその名残を見てとれる。
遊里の宿命として、家主・店主の高齢化、建物の老朽化で廃れていくのはもはや不可避である。ここもご多分にもれず、末期的状況を呈している。
往時は相当繁盛したであろう盛り場が今ではただのゴミ捨て場。
写真撮ってたらおっさんにからまれそうになったので、ここらが潮時とばかりに退散。
ざっくりと歩いてはきたものの、ここの歴史的背景やら当時の状況がグーグル先生に聞いても情報が乏しくいまだによくわからず。
なんか妙にもやもやが残る探索だった。
[訪問日:2014年4月13日]
コメント