『全国花街めぐり(昭和4年)』の荒木町の頁には以下の記述がある。
別称を「津の守」といふ。(中略)86軒の芸妓屋と63軒の待合がゴタゴタと目白押しに軒を並べた文字通りの狭斜街。芸妓は大が226人、小が26人、合計252人どこにそんなにたくさんの妓が住んでいるのだろうと不思議に思われる位のところである。
周辺を歩いてみる
芸妓数もさることながら、周辺を歩くと待合と置屋で合計で150軒っていうのも「どこにそんなにたくさんの建物があったんだよ」となること必至。
どことなく雰囲気のある建物はあれど、ざっと歩いた感じでは往時の建物は前頁の料亭建築、「千葉」「雪むら」以外になさそうな感じであった。
建物は建て替わっても、石畳や階段、細い路地が創り出す情緒は今もそのまま。夜になればしっとりとした雰囲気を湛える荒木町に好んで通う通人や粋人は殊のほか多いという。
街が醸し出す雰囲気が人々を惹き付けるためか、周辺にはかなりの飲食店が軒を連ねている。「隠れ家ダイニング」とか「隠れ家的な」とか、濫用されまくって安っぽささえ感じるこれらのワードは、荒木町のような場所でこそ使うのを許されるべきだと思う。
狭いエリアゆえ、30~40分程度という短い滞在時間だったにも関わらず、荒木町は心に引っかかるような余韻を残す街だった。いつか呑み明かしてみたいと思える魅力がそこにはあった。
すり鉢の底に眠る花街の残照。そう遠くない未来に、まるで夢でも見ていたかのように消えてしまうであろう。
もう、目を閉じたぐらいでは当時の情景を想像することは難しい。
金丸稲荷神社
すり鉢の縁に金丸稲荷神社が建つ。花街と深い関係にあったことは、立地的に間違いなさそうである。
玉垣には「四谷三業組合」をはじめ、「料亭雪むら」の名もあった。
伊勢丹は、あの伊勢丹なのだろうか。
精悍な顔つきのお稲荷様。これからも、この街の行く末をこの場所からそっと見守っていくのであろう。
[訪問日:2016年4月9日]
コメント
私もそこで、古い電柱みましたよ、、、
場所は違うみたいですが。
電柱が勝手に移動したんじゃないですか(笑)