まち全体で大正時代の雰囲気を再現し、観光資源として活用している岐阜県は恵那にある大正村。
ここから後編。
逓信資料館。え?読めない?
てーしんしりょーかん と読みます。
明治8年にに開局した元郵便局で、電信・電話業務も兼ねたことからこの名がついている。
その横には現郵便局。こちらは大正時代をイメージしたモダンな外観。
日本大正村資料館
続いて二つ目の有料施設、日本大正村資料館。元々銀行の蔵だった建物が資料館になっている。
今度はリアルに大正時代の建築みたいだ。木造4階建て、手動エレベーター付という当時としてはかなり巨大な建物だったそうである。
今度はちゃんと大正時代の文化が展示してあった。ここはなかなか楽しめる。
見どころはたくさんあるのであとは現地でどうぞ。
面白かったのがこれ。大正時代って短いくせにマジで波乱万丈だったんだなぁ。関東大震災が8位ってどういうことだよw
手前の蔵が休憩所になっていて、入口のおばちゃんに帰りに立ち寄るよう言われてたので顔を出してみたところ、お茶を頂くという好意に預かってしまった。感謝!
まぁ・・しいたけ茶だったんだけどね。ははは。
↑憎いほどしいたけが嫌いなヤツ
うかれ横丁
明智町は、明治~大正頃は養蚕で栄えた町で、同時に中馬街道の宿場町という顔も持っていた。
当時、多くの飲食店が立ち並ぶ繁華街で、歩くだけで浮かれ気分になったという逸話が残るのがこの「うかれ横丁」。
そして、うかれ横丁名物が目の前にある「渡り廊下の家」。
一体何をどう頑張れば浮かれることができるのか。そう思えるほど、この通り絶望的に寂れている。
ちなみに、この渡り廊下は廃業した旅館の裏口で、正面側の路地にかなりいい感じの町並みがあったことを知ったのは帰ってきてからのことだった。そっちだったら浮かれられたかな。
ついつい「元カフェー」に反応してしまう自分のサガが悲しい(´・ω・`)
紛らわしいから「カフェ」って書いとけよな。と看板にダメ出しをしてみる。
!?
こ、これは・・若かりし頃の飯島愛!!?こんなポスターが残っているなんて・・き、奇跡だ。
+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
この瞬間、「うかれ横丁」の意味がよく理解できました本当にありがとうございました。
カフェー天久と大正時代館
明治末期に東京で始まり大正期に普及したカフェー。大正12年開店、昭和61年に閉店した京都の「カフェー天久」がレコードや什器などもろもろ大正村に寄贈し、店舗がうかれ横丁に復元されている。
それがこの喫茶天久。今でも現役の喫茶店です。
そして天久に隣接するのが「大正時代館」。ここでも大正時代にまつわる展示が行われている。大正時代の明智町を再現したジオラマが一番興味深かった。
「大正の建物展」なる展示もあり、そこには帝国ホテルと東京駅。いずれも大正時代を代表する建造物。
かなりじっくり見たので、食事してないのに2時間くらいかかってしまった。個人的には異例の長さだった大正村。
テーマパークだけどテーマパークじゃない。作られた町だけど手付かずの町。最終的にはそんな印象が残った。
なお、同じ岐阜県の美濃加茂には「昭和村」、そして愛知の犬山には「明治村」がある。距離もそんなに離れてないのに、三者はそれぞれ独立しており無関係という、東海地方には不思議な地縁がある。(一応、業務提携っぽいことはしているらしい)
明治村と昭和村もいつか行かなければ。いや、今年中には行くだろうな。きっと。
※昭和村のほうは後日訪問し、記事にしました。
[訪問日:2016年6月2日]
コメント
昔明治村にはお邪魔しました。
村長は小沢正一さん時代かな?
大正村、、、
しかし、みょ~なところですね。
悪くないけど、映画のロケ地みたいな。
ロボット三等兵、、、今の若い人は知らないでしょうね。(爆)
明治村は確かもうずいぶん長いんでしたよね。
ああいうところをイメージしていくとちょっとガッカリするかもしれません。大正村のほうは。
ちなみにロボット三等兵は僕もリアルタイムではないですよ(笑)