塩の道の塩の町・足助の町並みを歩く

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名古屋から長野県の飯田に至る国道153号線、通称飯田街道を古くは「伊那街道」と呼んだ。
この伊那街道の中継地としてかつてものすごーく栄えた「足助」の町並みを見てきたというのが今日の話。

あすけと言われてピンと来ない人は、「香嵐渓」と言われればどうだろう。

東海地方随一の紅葉の名所である、その香嵐渓入口の目と鼻の先にあるのが足助である。

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足助の町並みとは

伊那街道は中山道の脇往還で、三河湾でとれた塩や海産物を信州方面へ運ぶ道だったことから別名「塩の道」とも言う。

その塩は足助で計り直されたり品質を整えられたあと、馬で運びやすいようなサイズに小分けされる。「足助塩」の銘柄がつくほど、足助ブランドは信頼と実績の象徴だったそうである。

天保年間には塩問屋が14軒もあったという足助は、宿場町、商家町として大いに栄えることになった。

その往時の繁栄の面影を残すのが、2011年6月に重伝建に選定された「足助の町並み」。

ちなみに古い町並みがそのまま残っていることからもわかるように、現在はとんでもない僻地である
鉄道不毛の地で完全に陸の孤島状態。参考までに、以下のアクセス方法がある。

  • 名鉄豊田線 浄水駅からバス60分
  • 愛知環状鉄道 愛環四郷駅からバス50分
  • 名鉄三河線 豊田市駅からバス45分
  • 名鉄名古屋本線 東岡崎駅からバス70分

なんか・・途方もないバス代がかかりそうで怖くて乗れませんw

建物は、1755(安永4)年の大火後に再建されたおもに江戸後期から明治後期ぐらいのものが多く全体の3分の1ぐらい。

大正期以降のものでも、景観のために伝統的な町家風になっているものが多く、全体的に調和のとれた町並みになっている。

元旅籠の「三嶋屋」。江戸後期に呉服屋として建てられ、明治時代に旅籠へ。

建物の特徴は、白漆喰で塗られた「塗籠づくり」。これは耐火性を意識してのもの。平入り、妻入りに関しては統一感はなく混在している。

エリアは西から宮町、西町、新町、本町、田町となっていて、今いるのが本町。かつて宿場の中心だった場所で、駐車場もこの本町のすぐそばにある。

江戸末期築。元商家の田口家。

大火後に建て替えられた元商家、紙屋邸は残念ながら工事中で見れなかった。

ローアングルで一枚。このあたりで本町から新町へと町名が変わる。

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新町

足助を代表する建物がこの「マンリン書店」。妻入りで、奥に蔵が4棟続いている。
そう、つまり奥行きが長くなんと50mもある。

脇から続く「マンリン小路」に入れば、その長さがよくわかる。漆喰と板壁のコントラストが美しい、足助のハイライト的スポットでもある。是非とも立ち寄りたい。

たまに間違えて「マリリン小路」って書いてる人をネット上で見かけるけど・・それモンローだしw

和菓子屋さん。

白壁の土蔵。相変わらず食べ物の写真が出てこなくてすいませんw

渋い店構えの鈴木商店さん。ここまでが新町。ここで旧街道は直角に折れ、足助川を渡る。その先が西町である。

(2ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    凄い町並みですね、、、
    あのタイル張りの2棟は、、、銭湯とカフェ!?

    • machii.narufumi より:

      だったら最高ですねw
      足助に色街的な要素があったとしたら、それはそれでビックリです・・

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