“知られざる遊里”とでも呼ぶべきか。いや、“未開の遊里”のほうが洒脱な感じがしてよくないだろうか。
そんな謎の遊里 in 湯浅探訪記。後編スタート。
湯浅には4ヶ所もの遊里があった
はじめに、今持てる情報をすべてさらけ出しておこう。以下が湯浅にあったという遊里である。
①旧新地:戦前に栄えた花街。湯浅駅から広川に向かって下って行ったあたり。
②謎の新地:前頁で紹介したやつ
③久保里:有田醫院裏手の花街
④コンクリ街:遊郭跡らしい。寺町通りの「橋本印刷所」から北へ伸びる路地
アールがちょっと気になった理髪店。
上記のうち、④のコンクリ街だけは駅から遠いこともあってそこまで到達できなかった。②はともかくとして、あてどなく歩いて①と③をカバーしてしまったのは長年培った勘と経験の賜物のような気がする(笑)
それにしても、なぜ4ヶ所もあったのにほとんど情報が出てこないのだろう。何か強い力が作用して故意に隠蔽されでもしない限り、普通こんなことにはならないのではないか。
まぁ、真実は闇の中である。だからこそ「幻の遊里」なのだ。さらに言えば、だからこそ歩くのが楽しいのである。
どことなく盛り場然とした雰囲気になってきたと感じたそのあたりが・・
先述した久保里の一角であったようなのだ。このときはあまりピンとこなかったんだけどなぁ・・
だが、その街はもう完全に終わっていた。絃歌さんざめく不夜城だったのかどうかなんてことは、目の前の風景から推し量るのはもはや不可能に近かった。
そしてこの素晴らしい近代建築が旧有田醫院。今立っているこの県道23号が熊野古道である。
そこから南下すると、2015年に廃業した布袋湯が見えてくる。このあたりが旧新地である。
この布袋湯さん、脱衣箱に番号の代わりに花の名が書かれていたそうであるが、それは風呂へ入りに来た芸妓の名前だったと言う話である。
目的意識がなかったのでまったくもって出鱈目に歩いた結果とは言え、いくつかそれっぽい建物を写真に収めていたようである。
文字通り・・夢の跡w
どうもこのあたりに「カフェー」の鑑札が残るスナックのなれの果てがあったようであるが、見なかったな。歩いてない路地があったか。
道を間違えて偶然通りかかったこと、さらに割と粘り強く歩いたことが奏功し、おぼろげながら湯浅の遊里の輪郭が見えて来た。
場所もだいたい掴めたことだし、もし機会があればもう一度じっくり歩いてみたい。
[訪問日:2016年10月9日]
コメント
これは、大発見ですね。
荒らされていないし、、、
偶然、というところがポイントですね。知ってて行ったのとは大違いですから。
和歌山へお越しの際は是非歩いてみてください。