和多見遊郭の移転計画は、明治15年の時点、つまり大火の前から存在していたというのが何年か前にわかったという。
真相は判らないが、とにかく遊郭は伊勢宮町に移転。新開地だったことから新地遊郭と呼ばれていた。
黒門とも呼ばれていた
売布神社の前を東へ向かうと、県道を渡って伊勢宮町へ入る。
電柱には新地と呼ばれていた頃の名残がありありと残っていた。
新地遊郭は、戦後は「黒門」と呼ばれる赤線として存続。
『全国女性街ガイド』には
赤線は通称を黒門という。六十軒に二百五十名。
黒髪の濃い、唇の厚い、面長で色白な松江美人ばかり。
の描写がある。60軒というのもかなりの規模の赤線である。
すでに今まで見てきた通りで、伊勢宮町のほうはずいぶんとわかりやすい。
と言うのも、遊郭⇒赤線の流れを汲む現役の歓楽街だからである。
このわかりやすい「伊勢宮新天地1」の左隣りに、「伊勢宮新天地2」がある。
残念。行き止まり。
ぬけられませんでした。
そんな伊勢宮町には、実は1軒だけ遊郭時代の建物が残っている。
昭和2年に建てられた旧米江旅館(米江楼)である。戦後は旅館に転業し、現在は「巴庵」という郷土料理店になっている。
2002年には登録有形文化財に登録されている。
公式サイトによると、モツ鍋、水炊き、島根和牛などが堪能できるという。
コース料理も一人3~4000円程度とお財布に優しい。
裏側から。
モザイクアートのような玄関灯。点灯しているところを見たかった。。
元妓楼で登録有形文化財。今度松江に来たらここに入って和牛と地酒で一杯やる。忘れそうなのでここで宣言しておこう。
その先には無料案内所があり、ぐうの音も出ないほどに夜の街が広がっていた。
途中止んでいた雨もいつの間にか降り出し、街にこびりついた情欲を洗い流すかのように無人の歓楽街の路面を濡らしていた。
豪壮な妓楼が立ち並んでいたであろう、100年前の姿を想像しながら、降りしきる雨の中肩をすぼめながら松江駅まで戻った。
[訪問日:2016年12月23日]
コメント
雨あがりのしっとり感がいいいですね。
寂れた色町に似合います。
赤跡2の松江も悪天候なんですよね。確かに、場所柄雨のほうが趣きがあっていいです。(歩くのは難儀ですが)