広島シリーズ第4弾は三原市の糸崎にあった遊郭跡。
三原って行く前は名前ぐらいしか知らなかったんだけど、新幹線も止まるし呉線が乗り入れるターミナル駅だし、あのポルノグラフィティの地元、因島行きのフェリーが出てたりと何かと交通の要所だったんですね、というのが現在の感想。
遊郭があったのは松浜という地区で、現在の糸崎7丁目あたりになる。糸崎駅から歩けばたぶん10分ぐらいと言ったところだろう。(車だったんですいません)
そう言えばここは有名なんですよね
『全国遊廓案内』には「糸崎町松濱遊廓」の名で記載がある。
昔は瀬戸内屈指の貿易港だったこと、糸崎の名は八幡神社の井戸(井戸崎)から来たという言い伝えがあること、娼妓は居稼ぎ制で廻しは絶対に取らなかったこと、などが書かれている。
妓楼は23軒の名が列挙されているからまぁだいたいそれぐらいの規模だったと思われる。
松浜港は入り江のような形をしており、妓楼が立ち並んでいたのは港の東側だったようだ。唯一無二とも言えるオーシャンビューで、遊び場としては最高のロケーションだったことがわかる。
現在では名残はほとんど見られなくなってしまい、静かな住宅街という以外は形容しようがない、もちろん良いほうの意味でだがいいところだった。
ここは『赤線跡を歩く(完結編)』の巻末特集、「瀬戸内紀行」で紹介されているし、『赤線奇譚』でも3枚の写真が掲載されている。
そういう意味で比較的有名な場所で、名残がないとわかっていながら立ち寄ったのも、これに因るところが大きかったような気がする。
界隈で唯一残っていたカフェー建築。
現在は個人宅として閑かな晩年を過ごしているように見えた。
山側の細い路地では、立ち並ぶ古い木造家屋に遊里の面影が感じられた。
ネット上で散見される崩壊した妓楼とやらは目につかなかったので、もう完全になくなってしまったのかもしれない。
糸崎松浜遊郭。
港が賑やかだった頃は、船乗りや商人たちでさぞかし活況を呈していたのだろうと思う。
赤線廃止から60年を迎える今、そこに船乗りや商人の影はなかった。
今も昔も変わらないのは、瀬戸内のベタ凪だけであろうか。
[訪問日:2016年12月31日]
コメント
大晦日に訪問されていたのですね。
で、お泊りに、、、そして元旦から
赤線跡探索ですか?
そうですねー毎年同じようなことやってますね。
元旦から赤線跡を歩くのも結構いいもんですよ(笑)