織田信長による丹後平定後の1579年、細川幽斎によって築かれた田辺城から歴史が始まった西舞鶴。
江戸時代には北前船の寄港地となり、物資が集積するまちに。城下町、商家町として長く繁栄を続けたまちなみの面影が、界隈には今なお残っている。
竹屋のまちまみ
田辺城跡の北西、竹屋町にはかつて廻船問屋や商家が軒を連ね、高野川の川岸には土蔵が並ぶ光景が見られる。
西舞鶴を代表する、有名な町並みのひとつ。
城下町のまちなみ
竹屋から田辺城跡にかけての一帯、かつての城下町だったあたりをぶらぶらと歩いてみた。
これだけ川の西側だけど、平入りのどっしりとした建物が残っていた。
ここから川の東側。現在の中央商店街付近。
古い商家がよく残っているのがこのあたり。
藤原とうふ店かと思った・・
軽トラじゃなくてハチロクだったら面白かったのにw
こちらの茶又旅館。創業約300年(江戸時代)だとか!
300年はなかなかお目にかかれない‥今度舞鶴行く機会があればここに泊まろうか。
古い町家も結構残っている。
突き当たりが茶又旅館。
そして奴が現れた。
ええぇ、、何この場違いな近代建築∑( ̄ロ ̄|||)
意表を突かれたこちら。明治36年創業の「若の湯」さん。
(現在の建物は大正12年)
2018年には登録有形文化財に。
そしてどう見ても若の湯さんにあやかったとしか思えない商店街のアーチ。
HIRANOYA STREET
なるほど、ここは平野屋通りと言うらしい。
平野屋町と言う地名は江戸時代からあるそうで、当時は町家が立ち並ぶエリアだったとか。
一本西側、高野川に最も近い通りへ。最初に紹介した、竹屋町の中心だったあたり。
要するに、川のほうから裏側を眺めた町家、商家のファサードにあたるのがこの通り。
凄まじく渋いたばこ屋があった。
お、足元にタイルがある。
たばこがこばたになってるところを見ると、戦前であるのは間違いなさそうだ。
タイルもいい色ですね。
時間があれば田辺城跡も含めてじっくり散策したいところだったけど、この辺でタイムオーバー。
歩けなかった筋もあるので、見ごたえのある建物は他にもあったかもしれない。
城下町時代の町割がそのまま残る西舞鶴。散策しがいのある町であることはなんとなく伝わったのではないかと思う。
人々の衆目を集めるのはもっぱら東舞鶴、赤れんがパークや引揚記念館だったりするんだけど、個人的には西舞鶴を推したい。
というか両方行ったらいいじゃん、って思う。
[訪問日:2017年5月3日]
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