舞鶴から東へ向かうと程なくして福井県に入る。
そこから約30km走ったところで、次なる目的地「小浜市」に到着した。
小浜の歴史
来たことももちろん初めてだけど、そもそも前知識がまったくないのでちょっと小浜について勉強することにした。
小浜は若狭国の中心だった場所で、若狭湾に面した港町。1601年に京極高次が小浜城を築き、城下町を形成。物資の中継地点であり交通の要衝だった小浜の城下町はすごい勢いで発展し1684年には東組、中組、西組の3地区に分けられることに。
このうち、商家町、茶屋町、寺町が混在する西組は当時の町割り、建物がよく残っており、2008年6月に「商家町・茶屋町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
そんなわけでやってきた小浜。空と海の碧さに心が洗われる。あぁ、えぇとこや。
福井と言えば鯖。そして有名な鯖街道は、実は小浜が起点だというのをこの旅で知った。
物流の主役を北陸道や国道8号線に譲った若狭地区は今では目立たない存在だけど、かつてはここが主役であり中心だった。
小浜西組伝統的建造物群保存地区
保存地区は小浜駅から西へ15分ほど歩いた場所にある。小浜湾と、かつて山城があった後瀬山に挟まれた南北約580m、東西約790mのエリアがそれにあたる。
ほぼ中央に旧丹後街道が走っており、直角に折れるところの東側が商家町、西側が茶屋町、そして後瀬山の山麓が寺町となっている。
三丁町
これはもう完全に自分の趣味だけど、今回のメインは旧茶屋町だった界隈。
いや、“旧”というのは間違いで、ここはまだ芸妓が活躍している現役の花街だったりする。
というのが、付近を歩けばいやが上にも雰囲気から伝わってくる。
あいにく工事中で風情が損なわれていたのが残念だった。
この「若廣」さんは焼き鯖寿司の老舗。並々ならぬ風格が感じられる建物も相当古そうだ。
この茶屋町だった界隈、巷では「三丁町」と呼ばれている。
何を隠そう、江戸時代には遊郭だった場所である。
ここの遊郭はいつ終焉を迎えたのか定かではないものの、おなじみ『全国遊廓案内(昭和5年)』には貸座敷45軒、娼妓約130人の記述があるので、おそらく戦前までは普通に存在していたのではないかと思う。
花街色の強い遊郭だったから、戦後は赤線化せずにそのまま茶屋街になっていったのではないかと個人的には勝手に思っている。
事実、赤線時代を感じさせる建物は皆無で、今も残るのは古い建物が整然と並ぶいわゆる“重要伝統的建造物群保存地区”だよね、と言った町並みのそれであった。
庚申堂
小浜西組を歩いていて、「おや?」と思ったことがあった。
庚申堂がある。
というのをこのときは大して気にも留めなかったけど、歩き始めてからすぐに意識することになった。
現役の料亭の軒先には「身代わり申」。
※庚申堂にはついてはこちらの記事を参照してください
そこら辺の町家にも「身代わり申」。
小浜にも庚申信仰があったんだ。へ~なるほど。
毎年7月には、庚申堂大祭という祭りが行われるとか。
まりちゃん
三丁町を歩いてると、こんにゃくを売ってるおばちゃんに声をかけられ足を止めた。
その名も「まりちゃんこんにゃく」。
あまりお腹も空いてなかったんだけど、よほど熱心に勧めてくるので100円で1本お買い上げ。
しかしこのこんにゃく、完全に油断してたけど味がしみててめちゃうまだった。
小浜西組に行ったら是非食べてみてください。
ちょうどおばちゃんから庚申堂の話を振ってきたので、「庚申堂って奈良のイメージだったんで意外でした」みたいなところから話を膨らませ。
(それ以外何を話したか忘れたけどw)
あちこち旅して知識が増えると、旅先でのこういう何気ない会話の引き出しも増えて、思いがけず話が弾んでそれがいい思い出になったりする。
というのを近年よく感じるようになった。
(2ページ目へ続く)
コメント
なかなか素敵な町並みですね。
そうなんです。だから工事だけが残念でした(苦笑)
はじめまして。私が見た数少ない朝ドラが「ちりとてちん」なので、行ったことはないのですが「小浜」と聞くとちょっと懐かしい気持ちになります。
貫地谷しほりさん演じるヒロイン・喜代美の父方の祖母・小梅(演じたのは先日亡くなられた江波杏子さん)が地元では名の知れた元芸妓で三味線の名人という設定だったので、もしかしたら現役当時の小梅さんもこのあたりのお店のお座敷に出ていたのかも?と想像して楽しくなりました(笑)
はじめまして。コメントありがとうございます。
「ちりとてちん」は見たことないのですが、小浜なのですね。小浜で芸妓という設定なら、確かにここかもしれません。
もし行かれたことがないのであれば、是非足を運んでみてください。
何か思い入れがあるときは、まち歩きは特に楽しくなりますよ^^