石川県の南西端にある加賀市。
名湯、山中温泉と山代温泉があり、九谷焼の産地、そしてあのレディー・カガを輩出した北陸美人の産地でもある。
この加賀市に、「山村集落」の種別で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)になっている加賀東谷という地区があると聞いて、旅の道中ふらっと立ち寄った。
山中温泉から東へ8~10km。その距離とは裏腹に、ものすごい山深さを感じたのはそこが本当に山の中だったからだろう。
まず最初にたどり着いたのは、荒谷という集落だった。
加賀東谷のあらまし
大聖寺藩の領土だった東谷は、藩政時代から昭和初期まで炭焼き(木炭の製造)を生業としていた集落。
かつては人口も集落も今より数が多かったが、過疎化が進み現在は荒谷(あらたに)、今立(いまだち)、大土(おおづち)、杉水(すぎのみず)の4集落となっている。
重伝建に選定されたのは2011年11月。4つの集落はそれぞれ距離が離れているため、面積だけで言えば保存地区はかなり広い。
そのうち、杉水集落だけぽつんと孤立した位置関係だったため、時間の都合ではしょった。
実際問題、今立と大土を見れば十分じゃないかと個人的には思う。
今立集落
加賀東谷における伝統的建造物は、見た目はどこも同じような感じである。
基本スペックは赤い瓦の屋根と屋根の上にある煙出し。それゆえ、「赤瓦と煙出しの里」という名で呼ばれることもある。
これが煙出し。
建物は明治前期から昭和30年代頃に建てられたもので、見ればかなり年季が入っているのがわかる。
家々は点在しているのでそこまで統一感はないが、切妻造の妻入が多く、見た目が似ているという点においては統一感があると言えよう。
大土集落へ
今立集落の時点でとんでもないところに来てしまった感をひしひしと感じていたが、自然の猛威とは無縁な都会の旅人を恐怖のどん底に叩き落とすには十分すぎる破壊力を持った看板がそこには立っていた。
熊出没中 注意!!
Σ( ̄ロ ̄lll)
((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
怯えながらけもの道のような林道を慎重に走って行く。
周囲の景色は、まるで選ばれし者だけがたどり着ける山奥の秘境のようでしかなかった。恐怖に打ち勝ち、熊との壮絶なストリートファイトを制した真の勇者のみが足を踏み入れることができる伝説の集落。
そんなイマジネーション妄想をくり広げながら、たどり着いた大土集落。
そこはひいき目に見ても限界集落でしかありませんでした。
人の営みがそこにあること自体、奇跡としか思えないような山の中に大土集落はあった。
だが、同時に気がついた。
独特の家並みを持った集落が、田畑や河川、豊かな自然環境と調和の取れた状態で残っている。
かつての日本ではよく見られたに違いない美しい山村風景を今に残す加賀東谷。
こういう地域こそ、後世に残すべき日本の資産ではないかと言う思いが現地を訪れたことでより鮮明になった。
重伝建にも色々あって、商業主義を前面に押し出しているつまらない場所があれば、ここのようにただ住民がそこで暮らしているだけという“すっぴん”の町並みもある。
どちらがいいかは人それぞれだろう。
けど、本当に大事なのは何が食べられるとかアクセスの良し悪しとかそういう観光色なんかではなくて、その土地がどういう歴史的背景のもとに、どういう普遍的価値を持っているのか。
現地でそういうことを知ったり住民と話をしたりするほうが、旅の思い出だってよっぽど彩り深いものになると思うんだけどな。
5月らしく、芝桜が咲いていた。
花鳥風月を愛でる心も、昔の人と比べて現代人は…という話を聞いたことがある。
自然は時として人に牙をむいて襲いかかる。
だが、豊かな心を育み、くたびれた心に癒やしを与えてくれるのも他ならぬ自然である。
色々なことを考え、何かを気づかせてくれる。自然にはそんな力があると思う。
加賀地方に出かける機会があれば、そんな加賀東谷地区へ足を伸ばしてみてはいかがだろう。
[訪問日:2017年5月5日]
コメント
棚田と集落の写真いいですね。
これで、青空だと最高ですね。
ご無沙汰です。
棚田と集落の写真ですが、どうも山の上から全体を俯瞰できる場所があったというのを後で知って・・
と言っても曇ってたんで無理して登ることもなかったわけですが^^;