たまには大阪の話でも Vol.1「堺・龍神遊郭編」

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大阪は堺市にかつてあったという、『龍神遊郭』の跡地を見に行ってきた。
南海堺駅下車徒歩2分。
ここもまた、関西に多い“駅前遊郭”だった。

南海堺駅

「近いといつでも行けるから」

「で、結局いつになっても行かないんだよね~」

皆さんも、一度くらいはこんな会話をしたことがあるのでは。
筆者にとってはそれが大阪で、なぜか関西に移住してから一年間、一度もまち歩きをしたことがなかった。(別に避けていたとかではなく)

もちろん堺駅に降り立ったのははじめてのこと。

堺と言われてピンとくるのは焼肉屋さかい引越のサカイのみという情弱ぶり。

こんなんで大丈夫なのか・・・

右も左もわからない状態でおろおろしながら歩き始めると、神明神社なる神社が目の前に現れた。

お、これは事前リサーチで見た気がするぞ。

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堺の遊郭の話

現在の堺と言えば、国内でも屈指の工業港。
昔はと言えば、大阪商人たちがブイブイ言わせていた屈指の貿易港。物資が集まり、人が集まり、お金が集まるところには必ず遊郭ができるという法則のもと、江戸時代にはすでに遊里が成立していたという。

明治時代に「龍神遊郭」「栄橋遊郭」のふたつにわかれたそうで、昭和20年の空襲でなくなるまで繁盛したと、まぁそういうとこだったようです。(雑)

昔は「新地神明社」と呼ばれていたことが書かれていた。

昭和5年の『全国遊廓案内』によれば、龍神遊郭は貸座敷10軒に約100名、栄橋遊郭は貸座敷60軒に540名

ちょっと何を言ってるのかよくわからない・・

って言いたくなるぐらい規模がでかい。

神明社の玉垣にはかつての妓楼の名前が並ぶ。

前身は稲荷明神だったようで、境内の片隅に今でもまだ残っている。
このお稲荷さん、きっと多くの娼妓・芸妓たちの信仰を一身に集めたことと思う。

運河が流れるこのあたりが、昔は港だったらしい。

この地はかつて「新地」と呼ばれた地域の一角で・・うんぬんかんぬん

と書かれた看板。

無彩色の空と淀んだ川面を眺めてると、ここに巨大な遊郭があったなんて虚構の話だったんじゃなかろうかと思えてくる。

界隈を散策

戦災で焼けた遊郭は、戦後は赤線として続いたらしい。
せっかく来たので、その名残を探してあてどなく歩いてみることにしよう。

唯一出会えたのが、赤線時代の遺構と呼んで差し支えないであろうこちらの建物。
サイズからして、転業旅館かアパートであろう。

この柱にもたれかかりながら、洋装の小粋な女給たちが煙草をふかしながら客の袖を引いていた。

そんな戦後日本のアナーキーな情景を想像してみるのも悪くない。

さすがに駅前だけあって、旧赤線地帯特有の雑多な感じや殺伐とした街並みを見ることは叶わなかった。

まぁ、一軒だけでも残っていたのでよしとしよう。

堺・龍神遊郭編・・Fin。

[訪問日:2017年6月24日]


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