あつがなつすぎる…。
ここ数年の実感値として、年々夏の暑さがパワーアップしている感が否めない。
20年ぐらい前では絵空事に等しかった40度という気温がネタでもなんでもなくなり、熱中症で命を落とす人の話も珍しいことではなくなった。
つまるところ、何が言いたいかというと・・
真夏のまち歩きがつらすぎて泣きたい。
2018年夏旅。
九州北部~山陽方面を攻めた1週間。
あの苦行のような7日間を振り返って、少しずつ文章に絞り出していこうと思う。
始まりは武雄温泉
行きたい所がほとんど佐賀方面に集中していたので、大阪から夜行バスで武雄温泉まで行ってクルマを借りた。
その足ですぐさま温泉街へと向かった。
まちのシンボルである、あの辰野金吾が設計した武雄温泉の楼門はあまりにも有名。
旅の前途を願い、まずは温泉で身を清めてからまちへとくり出した。
清潔感大事!
武雄温泉には遊郭があった
楼門の目と鼻の先にある「白さぎ荘」は、元遊郭のお宿。ここは色々な方が泊まっていてブログ等々で見ることができるが、見た目からは想像もつかないほど内観が素晴らしい。
不覚にも武雄に元遊郭の宿があることを知らなかったので この日は嬉野温泉で宿を取っていたので泊まることは叶わず。
目の前の「花月」は昔の屋号そのままの旅館だが、残念ながらこちらはすでに廃業していた。
白さぎ荘の裏手にあるアパート。ベランダの意匠が元遊郭っぽさを醸し出していた。
この通りが遊郭のメインストリートだったので、昔は妓楼が立っていたのだろうと思う。(未調査)
白さぎ荘の裏手、というか側面のレンガ塀。これは当時の名残だそうだ。
建物は変わってしまえど、こういうのが残ってるのは嬉しい。
「花月」さんは、正面こそ今風の旅館だが、裏手には純和風の木造建築が棟続きになっている。
こっちも客室として使われていたのだろうか。
しかしながら、蔦のような植物に侵食されまくっておりもはや全景を把握することさえ不可能だった。
次来たときなくなってそうだな・・
ぜーぜー言いながら急坂を登り、高台から俯瞰してみた。
楼門、武雄温泉元湯、そして新館だけが中華テイストでかなり浮いている。
楼門左手の脇道を入ったところに見えるのは、特殊なほうの温泉である。
武雄では、色街の名残がカタチを変えて現在まで続いている。
温泉街を散策
遊郭はあまり書くことがないので、温泉街を散策してみた。
楼門から正面に伸びる県道が、温泉街のメインストリートになる。
こちらは温泉旅館が数軒と、あとは飲食店やみやげ屋。
ごくありふれた、地方の寂れかけた温泉街という印象だった。
唯一違ってたのはやっぱりこれかな・・
[壁]_・)チラッ
キンノトビラ・・
コレゼッタイアケチャイケナイヤツダ・・
なんとなく脇道に入ってみたところで、よくわからない建物があった。
その先にはこんな素敵な近代建築。昭和初期の建築だそうな。
料亭「八百重」と書かれたこちらの建物。
たぶん今は仕出し屋か何かじゃないかと思うんだけど、ふと入口付近で目を止めると
どん!
佐賀県のは、以前鹿児島で見かけたやつとデザインがまったく同じだった。
温泉に入って遊郭跡を眺めた時点でほぼ目的は達成したようなもの。
そろそろ次の目的地へ向かいますか。
マンホールはやっぱり楼門だった。
いや、武雄でこれ以外のものはさすがに考えられないよな。
平成に入ってから復元した武雄温泉新館もまた、辰野金吾の設計。
大正3年竣工。
行く前からなんとなくわかっていたけど、夏の九州はひどく暑かった。
いや、予想のはるか斜め上を行くレベルで暑かった。
ふぅ。この先どうなることやら・・
[訪問日:2018年8月12日]
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