福岡と熊本に接する大分県のはしっこ、日田(ひた)市。
その日田に、「豆田町(まめだまち)」なる古い町並みがあるので見てきたと言うのが今日の話。
このときの旅はのべ7日間。大半を福岡で過ごしたが、唯一、県外でまち歩きをしたのがこの日田だった。
ずいぶん前から行ってみたい場所だったのでワクワクしながら現地へと向かった。
日田は博多から電車・バスいずれも1時間半あれば行けてしまうアクセスのおかげか観光地としては人気が高く、いつ行ってもそこそこ人が多い。
にも関わらず、そういうとこでは珍しく無料駐車場が整備されている。停めたのは、歩いて3分ほどの「月隈公園」の駐車場。(まちの西側にもうひとつある)
ざっくりとまちの歴史
日田は三隈川とその支流が何本も流れる水郷のまちで、九州北部のほぼ中央にあたることから交通の要衝でもあった。
江戸初期に築かれた永山城(この日クルマを停めた月隈公園が城跡)の城下町として始まるも、わずか40年ほどで廃城。
その後、幕府の天領(直轄地)となったことで発展へのブーストがかかり、一大商業地としてめきめきと頭角を現していくことに。
発展にいたった最たる理由は、西国筋郡代(さいごくすじぐんだい)と言う西国の大名を監視するための幕府の拠点が日田に置かれたこと。
厳密に言うと、元々置かれていた代官所が郡代に昇格して、日田は幕府にとって不可欠な重要拠点になった、ということ。(全国で郡代が置かれたのは関東、飛騨、美濃、日田の4ヶ所のみ)
日田の商人はこの郡代から掛屋(幕府の公金を管理する商人)に指定され、その金を諸藩に貸し付けることで莫大な利益を得た。
何やらようわからん人のために今風に翻訳すると、つまるところ
幕府(政府)の息がかかった、有力商人(上級国民)が掛屋(消費者金融)でボロ儲けしたエリア、と覚えよう。
・・なんか方向性違うような。まぁいっか。
そんな豆田町は、南北に二本、東西に五本の筋があってまるであみだくじのような整然とした地割になっている。
ほとんどの商家が江戸から明治にかけて建てられた歴史的建造物で、重厚で立派なモノが多い。しかも、残存数が多く今でも何らかの商売に使われているものがほとんど。非常に密度の濃い町並みだった。
2004年(平成16年)には、「商家町」として重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定。
無電柱化も実施済で、少し前の2001年には国交省の「美しいまちなみ大賞」にも選ばれたそうだ。
知らんけど。
あぁそうだ、あと、こんな町並みなんで「大分の小京都」「九州の小京都」って呼ばれてるそうな。
前回の秋月は「筑前の小京都」。
ホント多いよね、小京都・・。
豆田まちづくり歴史交流館(旧古賀医院)。
昭和7年の建物。
日田には掛屋八軒衆(七軒と呼ぶこともある)と呼ばれた有力な掛屋がいて、そのうちのひとつが草野本家。
その、重要文化財にもなっている草野本家(右側)は、まさかの改修工事中だった。
でもここ、城下町の名残か、いわゆる枡形になっててものすごく風情がある。
むしろ、豆田町でもっともフォトジェニックな場所、と言い切ってもいいかもしれない。
だって、こんな水路が流れてるんだもの。
さすがは水郷のまち。
町割はもちろん、水路も江戸時代のままだそうだ。
まだ半分も見れてない。
豆田町。
とにかく濃密で見どころだらけの町並みだった。
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コメント
豆田町の町並みは、本当に美しく日常の慌ただしさを忘れさせてくれました。
「・・・住みたい。」と思いました(笑)
日本丸の中は、当時使用されていた物が所狭しと展示されており撮影も許可されていました。建物がなんとも複雑で「迷子になる」と思いながら見学しました。入館料はリーズナブルなのに、かなりの見応えでした。
古い町並みや商店街の裏通りが好きなんですが、中でも豆田町は何度も行きたくなる町です。
約3年前から『レトロな風景を訪ねて』さんを拝見しており、昨年観光(2回目)した豆田町だったので思わずコメントしました。これからも楽しみにしています。
長文失礼しました。
はじめまして。コメントありがとうございます。
話を聞いてみると、日本丸はやはり入ってみたかったなぁと思いました。
私も好きが高じてあちこち古い町並みを歩いてますが、豆田町は特に趣深く印象に残る場所でした。また行きたいです。
そんなにも前から私のしょうもない文章を読んでくださって…大変恐縮しています。
これからもよろしくお願いします!