尾鷲からクルマで15分ぐらいだった。
細い路地が張り巡らされた、テンプレ通りの漁村風景。
運転に慣れていても神経をすり減らすほどの道。もちろん離合など不可能だ。
こういう場所は自分の足で歩くほうがいい。
岸壁にクルマを停めた。
そろそろ日が傾こうかという時刻。柔らかい陽射しと潮風が心地よかった。
歩き出すとすぐに、かつて銭湯だった建物が目についた。
2006年に廃業した、中の湯である。
建物は今も大事に維持されているように見えた。
地域の人たちの思いを、深く深く刻み込んでいるのだろう。
そんなことを思った。
そこは、「引本浦」と言う漁村だった。
明治以降、かつお漁の基地として栄えた、歴史ある漁港である。
そんな引本には、かつて遊郭があった。
色街の余韻
明確な意思を持って此処を訪れた者は、ただの漁村とは明らかに性格を異にする建物にすぐ気がつくであろう。
それはまるで、海の男たちで賑わった時代の火影のようだった。
幻のようにゆらゆらと波間を漂う、美しくも儚いもの。
決して結ばれることのない、一夜限りの愛。
手のひらで掬おうとしても、指の隙間からさらさらと零れ落ちていく。
両者にはどこか相通じるものがあった。
男たちはそれが偽物と知りながらも、ありもしないものに夢を見る。
信じ続けても叶わない願い。それはこの世に確かに存在する。
たとえ奇跡的に叶ったとしても、いつしか望んだはずのない姿に形を変えてしまうことがある。
否、確率の話をするのであればそのほうがはるかに可能性が高いかもしれない。
永久不変のモノなど何ひとつない。
それを知らぬ者は、やがて己の身を滅ぼすことになるだろう。
― 男と女がいた町。
そう聞くと、哀しいストーリーを回想せずにはいられなくなってしまう。
なぜ愛を確かめ合った者たちが、互いを傷つけ合わねばならないのか。
それが望んだ未来でないのだとしたら、これほど愚かで哀しいことはないだろう。
だが、その結末は決して予見できないものではなかったはずだ。
すべて自分で選んで来た道。責任の所在は明らかだ。
リスクに思いが至らなかったのだとしたら、それはあまりにも思慮が浅すぎる。
たとえ偽物だとしても、いや、偽物だからこそ美しいままの姿でいられるのだろう。
このまちで男たちが夢を見たワケが、今ならよくわかる。
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