「天草」と言う地は、名前こそよく聞くが行ったことがなかった。
何はともあれ天草四郎で有名な地で、一昨年の6月には「長崎と天草地方の
潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録された。
それじゃあ世界遺産を見に行って、ついでに美味しい魚でも・・
なんて旅行会社が立てたような眠たいプランの旅に甘んじるぐらいなら今頃こんなブログの管理人はやっていないわけである。
本渡の遊郭跡へ
遠かった…。
熊本駅から、実に100km弱もの距離を走らされた。
風光明媚なパールライン(天草五橋)で陸続きになっているので実感が伴わなかったが、天草は離島である。
いくつかの有人離島を経由し、最も遠い下島に着いた。
玄関口にあたる本渡(ほんど)は、2006年まで本渡市という自治体だったところで天草最大のまちにあたる。
そしてこの本渡には、かつて遊郭があったのである。
こんな天草くんだりまで何しに来たかと思えば遊里探訪である。
何か壮大な人生の無駄遣いなのではないかという疑念を無理やりかき消し、散策を開始した。
歩いたのは「小松原町」「大浜町」界隈。このあたりに遊郭があったようだ。
本渡に来て感じたのは、離島とは思えないほど栄えていたことである。
事実、天草は熊本、八代に次いで県下では人口第三位のまちで、本土と橋続きになっている自治体としては日本一だそうだ。(約75,000人)
“離島感がない”淡路島のようだった。
さて、本渡にあった色街はどんな感じだったのか。
おなじみ、『全国女性街ガイド』で紹介されている。
その天草最大の都会本渡市の純然たる赤線は、大門口の松鵜、ヨコレなど九軒だが、市内に散在する飲み屋の女の大半はねる。産交バスの中央発着所の前ビヤホールまで十八、九の女がそばへ寄ってくる。(略)
なるほど・・
よくわからん(笑)
文中に出てきた「産交バスの中央発着所」と言うのは、おそらく今で言う「本渡バスセンター」のことではないかと思う。
近くには銀天街と言うアーケードがあり、以前は文字通りこのあたりが市内の中心だったそうなので飲み屋もいっぱいあったんじゃないかな、と。
遊郭があったあたりとバスセンターは結構離れてるけど、飲み屋ならどこでもよかったっていうぐらいだから当時の人たちは遊ぶとこには不自由しなかったんだろうね。よい時代だ。
場所もよくわからないし、そもそも「散娼」型だったのならあてどなく歩く他ないよね、と開き直って時間の許す限りぐるぐると歩き回った。
そしたら、結構古くて味のある建物が多くて、なんか当初の目的とは違う意味で楽しめた(笑)
旅館光泉閣さん。たぶん現役。
目の前には、「入船」の屋号が書かれた気になる物件。
廃業した銭湯。
よ~く見なかったら銭湯ってわからないでしょこれ。
外観は地味でも、入ってみたらカラフルな豆タイルがびっしり、あらビックリみたいな展開が待ってそうな予感がするな。
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