「草津」と聞いてグンマーの草津温泉をイメージするのが関東人。
滋賀県の草津市をイメージするのが関西人。
今日書くのは後者のほう。
琵琶湖の南東にある草津は、かつて東海道と中山道の追分があった宿場町として繁栄した土地柄である。
昔の草津宿のあたりを歩くと本陣や老舗料亭なんかが残ってて大層風情があるんだけど、それについては日を改めて・・
東新地跡
野暮用で滋賀に出かけたこの日、ふらっと寄り道して草津にあった遊郭、東(あづま)新地の跡を見てきた。
場所は、国道1号線のすぐそば。スーパーホテルの目の前にある。
あまりに不自然な広さの路地が動かぬ真実を告げていた。
さらにダメ押しとばかりに、水子地蔵が祀られていた。
手厚く葬られたであろう、流れて行った小さな命を思いそっと手を合わせた。
旧東海道から少し外れたこの場所に遊郭が設置されたのは明治33年。
大正8年頃が最盛期で、その当時は16軒と言う規模だったそうだ。
今現在はほとんど住宅街に様変わりしてしまい、街灯に残る往時の屋号に僅かばかりの名残を見ることができる。
寿楼から「クラブことぶき」へ変遷をたどったその場所には
だたっ広い駐車場が広がっていた。
名残はもうないのだろうか。
なんて思いながら歩いて行くと、それが杞憂であることを知ることになる。
唯一、当時の屋号のまま残る「開盛楼」。
割烹料理屋だったようであるが、今はもうやっていない。
ここで食事をしてみたかったものである。
※開盛楼さんは2020年頃に取り壊されました
開盛楼の向かいにも、雰囲気を色濃くとどめる建物が残っている。
ちなみに横のたばこ屋も遊郭があった頃から続くそうだ。
ベンガラ格子の家の屋号は「油屋」。
屋根瓦に屋号がしっかり刻まれており、これにはさすがに感動を覚えた。
通りはたった150mで終わりを告げる。
曲がったところにはスナックが1軒。
角地にも、なんとなく面影のある建物が残る。
街灯には「麻雀一番」と書かれていた。
遊技場のような店だったのだろう。
※開盛楼さんからこちらの建物までの三軒が一気に取り壊されました
幅広の路地と、僅かながらの建物が昔日の隆盛を今日に伝える草津市の東新地。
宿場町の発展を陰で支えた遊所の現在地としては、幾分寂しいもののように思えた。
[訪問日:2019年12月23日]

















コメント
貴重な記事と、数年前とはいえ、現在では見ることが叶わない写真の数々をありがとうございます。
実は、私はこの場所にある油屋の現在の家主をしております。
今では更地になってしまった開盛楼さんですが、私がここに来た時にはまだ現存しておりました。
この一帯で一番立派な建物だったと思います。
今は、当時の遊廓建築の面影を残すのは、この油屋とお隣の建物だけになってしまいましたね。
私は古いものが好きなこともあり、縁あってこの油屋に事務所を構えています。
油屋の瓦に「油や」の屋号が刻まれていることは、私もこちらに来てしばらくは気が付かず、気付いた時はその細部に驚いたものです。
この油屋も登記簿上は築100年を超えており、古い家ならではのトラブルに見舞われております。。。
また、このような明治期よりも後に創られた遊廓建築は、歴史的価値が乏しいと見なされ、全国で廃墟化や取り壊しが進んでいるのが現状で、大変寂しく感じています。
油屋は開盛楼さんほどの価値があるとは言えませんが、私が個人的な愛着と嗜好で維持管理しているような状況です。
この記事を読んで、改めてこの建物を再認識しました。
私の財布が許す限り、細々と維持していきたいと思います。
貴重な記事、本当にありがとうございました。
油屋の所有者様からコメントを頂けるとは思ってもみなかったので大変驚いております。
わざわざありがとうございます。
開盛楼さんと並びの建物がなくなったことを知ったときは「またか」という思いでした。
元遊郭の建物は保存されることは稀で、本当に全国的にどんどんその数を減らしています。
滋賀で言えば大津にあった有名な建物も近年取り壊されました
一応こんなブログをやっている身なので、古い建物を維持管理されることがどれほど大変なことか、少しは理解しているつもりです。
愛着だけではどうにもならないようなご苦労も沢山重ねられてきたことと拝察いたしますが、歴史の語り部たる建物をどうぞこれからも守り続けていかれてください。