沖縄滞在中は、沖縄屈指の繁華街、松山にある安宿に投宿しここをベースキャンプとした。
二日目の午前中、満を持して宜野湾市の「真栄原社交街」へと向かった。距離にして約10km、車で20分くらいだろうか。
真栄原新町
真栄原社交街は、通称を「真栄原新町」と言った。
かつて、最寄りのバス停は「新町入口」という名だったが、街の壊滅とともに名前まで葬られ、今では「第二真栄原」という無難な名称になっている。
なんだか県立大学前に改称した京急安浦を思い出すな・・。
県道34号線沿いのかつてゲートがあった場所には、「カップメン」とかいう珍妙な名をした喫茶店。ここが目印となる。
すぐにゆるやかな上り坂が始まるので、そのまま上を目指す。
真栄原社交街は、普天間飛行場で働く米兵向けの遊び場として戦後に成立。
その後日本人向けの置屋街となり、横浜・黄金町、大阪・飛田新地とともに三大ちょんの間街として全国にその悪名を馳せるまでの規模に発展する。
全盛期には、真栄原二丁目のごく一部の地域に100軒を超える置屋が営業していた。
ところが、今から6年前の2009年。女性市民団体が反対運動を展開し、さらに夏頃からは当時の市長が中心となって浄化作戦を開始。それまで、社交街と持ちつ持たれつだった県警も重い腰を上げ、置屋は次々と摘発されていったそうである。
結局、2011年1月には県警に「ほぼ壊滅」と結論付けられ、半世紀あまり続いた歴史に強制的に終止符が打たれてしまった。
真栄原が不運だったのは、行政、警察のみならず市民団体までもが浄化運動に乗り出してきたことに他ならない。
先述の女性団体などは警察と連携してビラ撒きをしていたらしいが、その内容がまたえげつなく、働く女性たちに向かって「人としてダメだ」的な人格否定をくり返していたとか。
いよいよ、かつて置屋が並んでいたもっとも濃ゆいエリアへと足を踏み入れていく。
まるで時空が歪んでいるかと錯覚するほどにほとばしるダークオーラが凄い。
しかしそこには人っ子一人いなかった。
あまりに非現実的すぎる光景に、もしかしたらパラレルワールドに迷い込んでしまったのではないかとさえ思えてくる。
中を覗いてみるも・・完全に廃墟と化している。
やはりこの街はもう完全に死んでしまったようだ。
全盛期は、コザ吉原同様24時間営業で客のニーズを満たしていたらしい。まさにサービス業の鑑である。
料金も同一で、ショートが15分5k、ロングが30分10k。
3トップを形成した横浜黄金町と同様、店先で女性と直接交渉するシステムを採用していたが、決定的に違っていたのはそこで働く女性たちがほぼ日本人であったという点である。
例えば遊郭や赤線が発祥という色街は、町並みや建物に廓情緒の名残みたいなものが見られることが往々にしてあるが、真栄原は戦後のドサクサに急ごしらえで造られた場所だからか総じてごちゃごちゃしている。いや、はっきり言ってしまうと汚いのだ。
さらに、この特徴的なアルミのサッシ。
このメタリック仕様がどことなく冷たく人間味に欠ける印象を与えている。
ここからキレイなお姉さんが出てきても・・正直あまりときめかないw
路地もご覧のように酷い有様である。
ここからもわかるように、置屋はほぼ平屋となっているので圧迫感がなくずいぶん見通しがいい。
沖縄のおおらかさが街並みにも現れていると言えようか。
(2ページ目へ続く)
コメント
いや~!深かった。
なんか、西部劇の寂れた街みたいですね。
西部劇w
えぇ。この街はなかなか深いですよ・・闇が。機会があれば是非一度訪れてみてください!
同感です。日本は「1984」のような究極の超管理社会に既に踏み込んでいる。と思います。われわれは××チ×ーセンのことをよく揶揄しますが、どこが違うんでしょうか?同じdnaを感じます。“ダイバイシティー”とかよくいってますが、寛容さが全く無くなってますよね。現在の日本。「綺麗は汚い 汚いは綺麗」。シュウゾーと同じくらいヒロシが支持されなくちゃいけないと思ってます。
>ネガおぢさん様
コメントありがとうございます。時代とか政治的な都合とか色々あるんでしょうけど、かつての色街を歩くと理不尽なことを感じるときがままあります。表層だけで物事を捉えないで本質をよく考えてほしいと思いますね。為政者にはそういう政策を期待したいです。
再開発計画が進んでいます。
辺野古でワイワイやっている大半が県外から来た『自称一般市民』のせいで、普天間基地の移設が進まず、それと共に頓挫しています。
ちなみに今でも夜間にはやっている店が多々あります。
結局、暴力団の隠れ蓑であり資金源になっているのは事実です。
区民様
なんと・・壊滅したとばかり思ってましたが復活していたのですか。いやはや、驚きました。貴重な情報ありがとうございます。
ちなみに再開発計画とは何を作る感じなのでしょうか?
初めまして。同じ市内出身です。
25年ほど前の私の高校生の頃は
「早朝(4~5時頃)新町に行けば札が落ちている」というのが
もっぱらの噂でした。卒業したら新町行こうぜ!も合言葉でした(笑)
ま、大学生の頃早朝車で走らせましたが何も落ちていませんでしたけどね。
そして大人になった今、(経営者がどの筋かではなく)こういう風俗街として
まとまったエリアというのはある意味健全?なことなのかもしれないな~と
思うようになりました。
小中学生の頃“新町は大人の世界だから危ない”という認識だったのも
悪いことではないというか…
なぜか住所検索からここをのぞかせてもらいましたが、とてもステキな探訪記ですね。
いいサイトに出会えました。頑張ってくださいね!
地域民様
早朝、札が落ちているというのは真栄原らしい逸話ですね。
確かにこういう街は子供やその親にとっては忌むべき対象なのかもしれませんが、働く人や遊ぶ人にとっては必要な場所だと思います。
一ヶ所に囲い込まれて地域とうまくバランス取りながらやっている分には潰すなんて議論は間違っても出てこないと思うんですが・・
激励ありがとうございます!今後の励みになります。
2004年から2006年、2009年の3年間を新町で過ごしました。キャンプの時期にはプロ野球選手がきたり、お笑い芸人がきたり、と賑わっていましたが、2009年の10月頃から12月は町を巡回するパトカーが町に入った瞬間にお店にベルがなり入口を閉めなくてはいけない状態で、売上は一気に減りました。でも、この仕事をあがるいいキッカケになったのも事実です。
壊滅するかも、と判断し地元に帰り、その後沖縄にはなかなか行けていませんが、今回この記事で新町を見れてよかったです。
りいさん
まさか当時現地で過ごされた方からコメントをいただけるとは。貴重な生の声をどうもありがとうございます。
10年以上前であれば今となっては思い出のようなものかもしれませんが、少しでも当時を懐かしむきっかけになったのであれば私としてもよかったです。
新町では系列のお店の子以外には仲良くしてはいけない、という暗黙のルールがありました。
わたしが働き始めた2004年には系列のお店に「ホストで積み重ねた借金を返すために売られてもう3年働いている」という子も珍しくありませんでした。借金を返しても最低3年いなくてはいけないとかいうルールがあるお店もありました。
新町には「日掛け屋」と呼ばれる非合法の貸金屋さんがいたのはご存知でしょうか。
借りたお金は100日で返すのです。300万なら1日3万を100日。周りにはそんな子が多くいました。でも利息がすごいんです。
300万のうち元金250万利息50万という感じです。
新町の壊滅と共にこういう日掛け屋さんも壊滅していったのでは・・・と気になっています。
確かに非合法地帯でした。でも、ここでいい思い出があるのも事実です。
写真を見て、懐かしいやら淋しいやら・・・
毎週来てくれていた常連さんは今はどこで癒されているのか少し気になりました。
ここで過ごした私も今では2児の親です。主人にも子供たちにも、ここの事は話せませんが、自分が過ごしたこの場所がこのまま廃れないでいつか復活して欲しいな、と思ってしまいます。
りいさんの気持ち、よくわかります。
どんな場所であれ、昔いた場所や属した組織というのは忘れたくても忘れられるものではないと思います。
新町のような場所であればそれはなおさらでしょう。
家族にとっては知る必要のないことです。そっとご自分の胸にしまっておくだけでよいと思います。
ふと思い出すことがあれば、是非また遊びに来てください。お役に立てるなら嬉しい限りです。
好きな街でしたよ。夜行くとナースやゴスロリ、チャイナ服とかコスプレの可愛い女の子ばかりで・・・午前中にお邪魔すると主婦層が多くって。あさイチに一発発射して街を歩いていたら頭上を飛ぶ軍用機が道路に影を落として、う~ん沖縄だって気になりましたよ。
沖縄らしい情緒が素晴らしいですね~。旅行者だったらきっと何物にも代えがたい旅の思い出になると思います。
復活してほしいですね。個人的には。無理でしょうけど。
古い記事にコメントで失礼します。
寂しさ漂う写真を見て、このコメント欄を読みながらいろいろ考えてしまいました。
確かにこうした街がすぐそばにあるのは困る、という気持ちは分かります。
排除したいと動き出すのもわかる。
しかし、人格否定に至るというところで一線を超えていると思うわけです。
活動をしていた人たちはそれを「正義」だと思っていたと思います。
正義だから叩いても良い。
これって、いじめの構図と一緒なんですよね。
あいつは嘘をつくから懲らしめてやらなきゃいけない、あいつは先生に贔屓されているから思い知らせてやらなければならない、とか。
そういう、いじめの仕組みを知らない大人たちが、いじめを無くそうなんて言ってるから無くなる訳ないんですよね。
なくなったと思っても、それは表面的なだけで、より凶悪な形で水面下に潜む。
それは、こうした街と同じ様に思います。
「人間」という生き物をどう捉えるか。
それによって、こうした街の必要性というか、存在してしまうことが見えてくる。
こうした街を抱えることのできる社会、もちろん積極的に抱える必要はないのですが、それが実は一番健全な状態じゃないのかと思うんですよね。
人間にベストは無理、ベターで良し。
本質を突いた素晴らしいコメントですね。
いじめにしても、当事者の気持ちを真に理解しないと本当の意味でなくすことはできないと思います。
きれいごとばかりを追い求めたら絶対どこかで綻びが出てしまって、悲しい結末になるのは目に見えてます。
この街の顛末は、そういう側面が帰結した、なるべくしてなったものだと私は思っています。
理想論なんて所詮は理想でしかないんです。