栄町市場から桜坂社交街へと向かう道すがら、少しだけ遠回りして「神里原(かんざとばる)社交街」の町並みを見てきた。
途中、プチカルチャーショックを受けたのが、ライオンズマンションにライオンじゃなくてシーサーがいた件。
これが沖縄スタンダードらしいんだけど、これじゃシーサーズマンションじゃないか・・
けどなんかシーサーのほうが強そうに見えるから不思議。
巨大な石敢當に度肝を抜かれながら壺屋方面へと歩みを進める。
神里原社交街とは、戦後、那覇市内で米軍の接収から初の解除地域に指定され、その後沖縄一の繁華街になった場所である。のちに、その地位を現国際通りに譲ってからは徐々に衰退していき、数年前から始まった再開発の波に今ではすっかり呑まれてしまったらしい。
時すでに遅し・・
ここが、かつて社交街があった神原大通りの入口である。
これは拡幅工事後の姿で、以前はこの3分の2くらいしか道幅がなく通り沿いにはオンボロ家屋が軒を連ねていたという。
凄まじい変わりようである。
先ほどの右手駐車場の奥のほうに、盛り場だった頃の名残が辛うじて存命している。
駐車場のところにも同じようなバラックがあったのだが、拡張工事の際に解体されてしまったようだ。
これを見れただけでもよかったとするべきかもしれないが、もっと早く来ることができていたら、と悔悟の念が募る。
旅は早い者勝ちのレースによく似ている。
戦争はおろか、戦後さえ知らない時代の人間において、その頃から残る建物や町並みにはどうしても惹きつけられてしまうものがある。
畏敬の念とも言うべきだろうか。
自分が知らないことを知っている人のことをすごいと思うあの感覚に近いような気がする。
神里原一の有名店、おでん六助。現在はわからないが、訪問当時はまだ営業中だった。
それにしても色がすごい。よくわからないけど、米軍への配慮でこういう色にしたのだろうか。
やや国際通り方面に進んだあとで振り返る。
やはり青色のバラックだけが異彩を放ちまくっている。それほどこの通りが変わってしまったということであろう。
壺屋と言えば、「壺屋焼」という焼き物が有名な土地柄である。
石畳の「やちむん通り(壺屋大通り)」入口の少し南側に、巨大シーサーが設置されている。
「うふ」とは沖縄の方言で巨大を意味し、高さ3.62m、重さなんと約3トンとのこと。
壺屋にあった神里原社交街。
戦後沖縄を知る街は、その記憶とともに我々の目の前から永遠に消え去ろうとしている。
いや、もう消えたというべきかもしれない。
復興の祖よ。安らかに眠れ。
[訪問日:2014年12月25日]
〒900-0013 沖縄県那覇市牧志3丁目6−10 桜坂劇場
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